浪人生だった指(ゆび)は 自宅の庭で バラを20本ほど育てていた。 専門的に育てていたので すごい花が 一度に何本も咲いた。 バラは 花が咲くと切らないと 次の花をつけないから 切り花にして 近所に配ってた。隣の家の奥さんが いつも喜んでくれた。30前後の綺麗な女性 えまっていった。
その日、指(ゆび)が選んだのは、深い深紅色の「パパメイアン」と、淡いピンクの「ピエール・ド・ロンサール」だった。朝露がまだ花弁に残るその花束を手に、指は生け垣越しに声をかけるのではなく、きちんと玄関のチャイムを鳴らした。
「あら、指くん。また咲いたの?」
ドアを開けたえまさんは、緩く束ねた髪とエプロン姿だった。ふわりと、バラとは違う柔軟剤のような優しい香りがする。
「はい。一番花が終わる前に切らないと、株が疲れちゃうんで……よかったら」
「まあ、すごい。今回のも本当に立派ね」
えまさんは、まるで宝石でも受け取るように、両手で花束を受け取った。彼女が花に顔を近づけて香りを吸い込むその仕草を見るたび、指の胸の奥で、棘(トゲ)に刺されたような痛痒い何かが走る。
「指くんの手は、魔法の手ね」
えまさんがふと、真顔になって言った。
「あんなに細い苗だったのに、こんなに綺麗な花を咲かせられるんだもの。……きっと、勉強の方も、今は冬の時期でも、ちゃんと蕾を持ってるわよ」
その言葉は、予備校の模試の結果が悪くて落ち込んでいた指の心に、雨のように染み込んだ。
「……咲きますかね、俺も」
「咲くわよ。私が保証する。だって、こんなに優しい花を育てられるんだから」
彼女の笑顔は、庭のどのバラよりも眩しかった。指は、次の模試までもう少し頑張ってみようと、剪定ばさみを握りしめた指先に力を込めた。
「いつもありがとう、指くん」
えまさんはいつものように微笑んだが、その日はどこか様子が違った。受け取った真紅のバラを見つめる瞳が、どこか遠く、冷たい場所を見ているようだったからだ。
「あの……えまさん? このバラ、嫌いでしたか?」
「ううん、違うの。……綺麗すぎて、怖いくらい」
彼女は独り言のように呟くと、ハッとしたように指を見た。
「ねえ、指くん。バラって、美しく咲かせるためには、余分な枝を切り落とさなきゃいけないのよね?」
「はい、剪定は大事です。栄養を集中させるために」
「そうよね……。何かを得るためには、何かを切り捨てなきゃいけない」
「指くん、これ何ていう種類? 先週のと香りが違う!」
えまさんは、すっかり指のバラ講座の生徒になっていた。
「これは『ナエマ』です。ゲランの香水から名前がついたバラで、香りが強くてフルーティーなんですよ」
指が早口で解説を始めると、えまさんは「へぇ~!」と目を輝かせる。浪人生としての自己肯定感が底辺にある指にとって、自分の知識で誰かが喜んでくれるこの時間は、唯一の救いだった。
「すごいなぁ。私なんてサボテンも枯らしちゃうのに。……ねえ、今度お礼に夕飯ごちそうさせてよ。旦那、出張でいないし、作りすぎちゃって」
「えっ、いや、そんな悪いですよ」
「いいのいいの! 受験生には栄養が必要だし、バラのお礼!」
その夜、指はえまさんの手料理を食べながら、ふと気づく。彼女がバラを喜んでくれていたのは本当だが、実は「昼間、広い家に一人でいる寂しさ」を、庭越しの会話で埋めていたのではないかと。
バラがつないだ、浪人生と人妻の奇妙な友情(?)物語。
ある日、いつものようにバラ(その日は鮮やかなオレンジの『ブラスバンド』)を届けた指に、えまさんが深刻な顔で相談を持ちかけます。
「指くん……変なこと聞くけど、今のパンツ、履き心地どう?」
「は、はい……!?(真っ赤になる指)」
えまさんは笑わずに真剣です。彼女はキャリアの転換点として、初の男性用ライン『ADAM(アダム)』のチーフに抜擢されたものの、女性である自分には「男性のリアルな着心地」や「若者の感性」が分からず、行き詰まっていたのです。夫は体型が崩れていて参考にならないし、社内の男性社員の意見は建前ばかり。
「お願い。指くん、毎日庭仕事で動くでしょ? 動きやすさと、蒸れにくさ……私の試作品のモニターになってくれない?」
指は断りきれず、えまさんから渡された試作品(まだタグもついていない黒いボクサーパンツ)を履いて、庭でバラの世話をすることになりました。
後日、フェンス越しに感想を求められ
「えっと……あの、屈んだ時の締め付けが、以前のよりキツくないです。でも、しゃがんで剪定する時、太ももの裏が少し……」
「なるほど、カッティングの角度ね! ありがとう、すごい参考になる!」
指は気づきます。えまさんが下着について語る時の熱量は、自分がバラの剪定や土作りについて語る時のそれと同じなのだと。「機能美」と「見た目の美しさ」の両立。
「ねえ指くん。このバラの『ベルベットのような質感』……これを生地で再現できないかな?」
二人は、バラの花弁を触りながら、理想の生地感について語り合うようになりました。
予備校では「無職」「まだ何者でもない」扱いの指ですが、えまさんの前では「貴重な意見をくれる若きアドバイザー」です。
ある日、えまさんが開発に行き詰まり、庭のベンチでため息をついていました。
「男性が、これを履いて『勝負しよう』って思えるような……そんな自信をくれる一枚にしたいの。でも、自信って何なのかしら」
指は、手入れしたばかりの真紅のバラを見つめて言います。
「バラも……土の中に根っこがしっかり張ってないと、いい花は咲かないんです。見えない部分が大事っていうか……。だから、誰にも見えないけど、自分だけが知ってる『いいもの』を身に着けてると、背筋が伸びる気がします」
その言葉に、えまさんはハッとします。
「見えない根っこ……そうね、それがアンダーウェアの本質かも」
数日後
「え、ここで……ですか?」
指の声が裏返った。
午後の日差しが傾きかけた庭。周囲は生け垣と、彼が丹精込めて育てた背の高いイングリッシュローズの茂みに囲まれている。外からは見えない「密室」だ。
「お願い。実際に土を踏んで、しゃがんで、汗をかいた時の生地の『張り』が見たいのよ」
えまさんは真剣そのものだった。手にはスケッチブックとメジャーを持っている。
「嫌なら無理には言わないけど……指くんの筋肉のつき方、すごく参考になるから」
その言葉が引き金になった。
指は家に入り、古びたジャージを脱ぎ捨て、渡された試作品のボクサーパンツ(色は深いボルドー、偶然にも庭のバラ『黒真珠』に似た色だった)一丁になる。
恥ずかしさで心臓が破裂しそうだったが、それ以上に、**「あの綺麗なえまさんが、僕の体を見る」**という事実が、脳髄を痺れさせた。
庭に出ると、冷たい秋風が肌を刺したが、顔だけは火のように熱い。
えまさんは、裸に近い姿の指を見ても、顔色ひとつ変えずに頷いた。
「うん、やっぱり。細身だけど、毎日庭仕事してるから、太もものラインが綺麗ね」
彼女は遠慮なく近づいてくる。
指がバラの剪定をするふりをして、ハサミを構えて屈伸すると、えまさんの視線が腰回りからお尻のラインに吸い付くように注がれるのを感じた。
「指くん、そのままでストップ。……ここ、食い込んでない?」
えまさんの白くて細い指が、恐る恐る、けれど確実に、指の太ももの付け根――ボクサーパンツの裾の部分に触れた。
ひんやりとした彼女の指先が、熱を持った自分の肌に触れる。
「っ……大丈夫、です」
「そう? 素材の伸縮率はいいみたいね。じゃあ次は、高い枝を切るみたいに背伸びしてみて」
指は言われるがままに腕を伸ばす。肋骨が浮き上がり、腹筋が伸びる。
無防備なその姿を、えまさんはスケッチブックにさらさらと走らせる。
「……綺麗」
ふと、彼女が漏らした言葉。
それは「下着のシルエット」を指したのか、それとも「指自身の体」を指したのか。
指は、バラの棘に触れた時のような鋭い痛みと甘さを同時に感じた。
「ねえ、指くん」
えまさんがスケッチの手を止めて、上目遣いで彼を見た。夕日が彼女の瞳を濡れたように輝かせている。
「私がデザイナーじゃなくて、ただの隣の奥さんだったら……こんな格好、見せてくれなかった?」
その質問は、明らかに「テスト」の範疇を超えていた。
指の中で膨らんでいた「期待」が、確信に変わりそうになる。
「……えまさんが、見たいなら」
指がそう答えると、えまさんは悪戯っぽく、でもどこか寂しげに微笑んだ。
「浪人生をからかっちゃだめね。……でも、今の指くん、庭のどのバラよりも生命力があって、ドキドキしちゃった」
夕闇が迫る庭から、えまさんの自宅へと招き入れられた。
通されたのは、リビングの奥にあるアトリエだった。トルソーや布のサンプルが散乱するその部屋は、甘い香水の匂いと、微かに布埃の匂いが混じり、どこか秘密めいた空気が漂っていた。
「……ごめんね、変なこと頼んで。でも、最大膨張時の生地のテンション(張力)を確認しないと、商品化できなくて」
えまさんは背を向けたまま、震える手でドアの鍵をカチャリと閉めた。その音は、指(ゆび)の耳には、退路を断つ音に聞こえた。
「大丈夫です。……俺、えまさんの役に立ちたいですから」
指の声は渇いていた。
庭では冷たい風が熱を冷ましてくれていたが、室内は暖房が効いていて生温かい。ボクサーパンツ一丁の肌に、室内の空気がまとわりつく。
「じゃあ……そこに立って」
えまさんが振り返る。その頬は、夕日のせいだけではなく、紅潮していた。
彼女の視線が、再び指の下半身へと落ちる。
「リラックスしなくていいわ。……想像して。あなたの好きなものを。あるいは、今、目の前にいる私を」
その言葉は、最後の一押しだった。
これまで必死に「自分はただのモニターだ」「相手は既婚者の隣人だ」と理性で押さえつけていたダムの壁が、音を立てて崩壊した。
――あふれる。
指の中で、若さゆえの奔放な血液が暴れだした。
バラの蕾が、内側からの圧力に耐えきれずに硬いガクを突き破って咲くように。
えまさんが開発した『ADAM』の繊細な生地が、悲鳴を上げるように引き伸ばされていく。
「っ……!」
指は恥ずかしさで顔を覆いたかったが、えまさんの視線に金縛りにあったように動けなかった。
深紅の生地が、脈打つ熱を帯びて、ありのままの形を浮き彫りにしていく。庭での寒さで縮こまっていた時とは全く違う、攻撃的で、雄々しいシルエット。
えまさんは、息を呑んだ。
スケッチブックを持つ手は下ろされ、彼女はふらりと吸い寄せられるように指の前に膝をついた。
「……すごい」
彼女の瞳孔が開いているのが分かった。
それはデザイナーとして「製品の耐久性」を見ている目ではなかった。
「合格よ、指くん」と呟く唇が乾いている。
「生地、破けそうじゃないですか? ……痛くない?」
えまさんの問いかけは震えていた。
「……痛いです。でも、苦しくはない」
「そう……よかった」
えまさんの手が、ゆっくりと伸びてくる。
今度は「検査」という名目のもと、生地の上からではなく、その熱源そのものを確かめようとするかのように。
「ねえ、指くん。バラは咲いたら、誰かが愛でてあげないと……かわいそうよね?」
その言葉とともに、彼女の指先が、限界まで張り詰めた布地に触れた瞬間、指の視界は真っ白に弾けた。浪人生活の鬱屈も、将来の不安もすべて吹き飛び、ただ「男」としての本能だけが、目の前の美しい女性を求めて叫び声を上げていた。
えまさんの指先が、限界まで張り詰めた布地から、ふわりと離れた。
まるで、触れていたバラの花びらが散るのを惜しむように、けれど断固として。
「……自分で、できる?」
その言葉は、優しく響いたけれど、内容は耳を疑うものだった。
指は荒い息をつきながら、潤んだ瞳でえまさんを見つめ返した。彼女はもう触れてはくれない。ただ、その大きな瞳でじっと、指の反応を「データ」として収集しようとしていた。
「この生地、吸湿速乾性が売りなの。……だから、最後までどうなるか、その目で確かめさせて」
それは実験という名の命令だった。
指は震える手で、自身のモノを握りしめた。夫がいる女性の目の前で、しかも彼女がデザインした下着を履いたまま、自分を慰める行為を見せる。
本来なら屈辱で逃げ出したくなる状況だが、目の前のえまさんの視線が、指の理性を焼き切っていた。彼女は軽蔑などしていない。むしろ、これから起こる生命の奔流を、芸術品でも見るように待ち構えている。
「っ、えま、さん……見ないで、いや、見て……」
支離滅裂な言葉が漏れる。
指の手が動くたびに、ボルドー色のボクサーパンツが波打ち、筋肉の筋が浮き上がる。
えまさんはスケッチブックを置き、両腕を組んで、その光景を網膜に焼き付けていた。時折、ゴクリと喉が鳴る音が、静まり返ったアトリエに響く。
そして、限界が訪れた。
「あっ、だめ、出ます……っ!」
堰を切ったように、指の身体が弓なりに反った。
バラの蕾が弾けるように、あるいは花びらが嵐に散らされるように、若い雄の衝動が溢れ出した。
えまさんは一歩も退かず、むしろ身を乗り出して、その瞬間を見届けた。生地がどのように汚れ、どのように液体を受け止めるのか。そして、事後の男の身体がどのように弛緩していくのかを。
「……はあ、はあ……」
すべてが終わった後、指は賢者タイムの虚脱感と、死にたくなるような強烈な羞恥心に襲われ、床に崩れ落ちそうになった。
汚れてしまった試作品。情けない自分。
そんな指に、えまさんはティッシュの箱を差し出した。抱きしめてくれるわけでも、キスをしてくれるわけでもない。
「……お疲れ様。すごいデータが取れたわ」
えまさんの声は、少しだけ震えていたが、あくまで「仕事相手」としての距離を保っていた。
「やっぱり、ここは補強が必要ね。……それと、肌触りはどうだった? 濡れた後の不快感は?」
事後の余韻に浸ることさえ許されない、残酷なインタビュー。
指は赤面したまま、蚊の鳴くような声で答えるしかなかった。
「……すぐに、サラッとしました。……不快じゃ、ないです」
「そう。ありがとう、指くん。……最高のモニターよ」
えまさんは、汚れたボクサーパンツを「洗濯しておくから」と回収しようとはしなかった。「それはあげるわ。記念に、ね」と、意味深に微笑んだだけだった。
帰り際、玄関で冷たい夜風に吹かれた指は、自分がとんでもない泥沼に足を踏み入れたことを自覚した。
えまさんは一線を超えさせてくれなかった。けれど、彼女の目の前で果ててしまった事実が、セックスするよりも深い「主従」のような楔(くさび)を打ち込んでいた。
季節は冬へ。庭のバラは休眠期に入り、指は受験本番(共通テスト)を目前に控えていました。
あの一件以来、えまさんは週に一度、新しい試作品を指に渡すようになりました。
「今度は縫い目を変えてみたの。……また、見せてくれる?」
彼女は決して、指に触れようとはしませんでした。
アトリエで指がパンツ姿になり、彼女の前で高ぶり、それを必死に抑え込む様子を、えまさんは紅茶を飲みながら楽しむかのように観察するだけ。
「よしよし、我慢強い子ね。今日はここまで」
寸止めで帰されることもあれば、「処理」を命じられることもある。
指にとって、それは屈辱でありながら、受験勉強のストレスを唯一忘れられる、麻薬のような時間でした。えまさんにとって指は、夫のいない寂しさを埋める玩具であり、決して噛みつかないと信じ込んでいた「去勢されたライオン」だったのです。
変化が訪れたのは、大雪が降った夜のことでした。
センター試験(共通テスト)の前日。不安で押しつぶされそうになった指は、参考書を放り出し、降りしきる雪の中、えまさんの家のチャイムを鳴らしました。
「指くん? 明日早いんでしょう? 風邪ひいちゃうわよ」
玄関に現れたえまさんは、驚きつつも招き入れてくれました。
暖かいリビング。えまさんの甘い匂い。
指は震える声で言いました。
「……落ち着かないんです。えまさんの顔を見ないと、明日、戦えない」
えまさんは、困ったような、でもどこか嬉しそうな顔で笑いました。
「しょうがない子ね。……じゃあ、気合を入れてあげる。新作の『ADAM』、最終完成形よ。これを履いて試験に行きなさい」
渡されたのは、真紅のボクサーパンツ。あの日、指が咲かせたバラ『パパメイアン』と同じ、深く濃い赤色でした。
「ここで履き替えて。……サイズが合うか、私がチェックしてあげるから」
いつもの「ペット扱い」でした。
しかし、その日の指は違いました。ズボンを脱ぎ、真紅の下着を身に着けた指は、鏡に映る自分の姿を見て、ふと気づいたのです。
(俺は、いつまで「イイ子」でいるんだ?)
明日、試験が終われば、春にはこの町を出るかもしれない。この関係も終わる。
そう思った瞬間、指の中で何かが切れました。
「うん、完璧なフィット感ね。これなら……きゃっ!?」
しゃがみ込んで裾を直そうとしたえまさんの腕を、指が強く掴みました。
「指くん……?」
「もう、チェックは終わりですか? 観るだけですか?」
指の目は、怯えた小動物のそれではなく、獲物を狙う獣の目をしていました。
「痛い、離して……」
「えまさんが育てたんですよ。……毎日水をやって、肥料をやって、こんな風になるように」
指はえまさんを強引に引き寄せると、その唇を塞ぎました。
最初は抵抗していたえまさんでしたが、指の身体から発せられる熱と、これまで抑え込まれていた激情に当てられ、次第に力が抜けていきます。
「だめ……明日、試験なのに……」
「試験の前だからです。……自信を、ください」
指は、えまさんをリビングのソファへと押し倒しました。
いつもは「見られる側」だった指が、初めて「見る側」になり、えまさんの衣服を剥ぎ取っていきます。
現れた彼女の白い肌は、冬のバラのように冷たく、けれど内側に熱を秘めていました。
「指くん、だめ、私……っ」
「えまさん。俺はもう、ただのモニターじゃない」
これまで「観察者」として冷静を保っていたえまさんが、今は指の下で乱れ、喘ぎ、彼を求めている。その事実は、指に無限の自信を与えました。
窓の外では雪が降り積もる中、二人は何度も求め合い、まるで春を待てずに咲き誇る狂い咲きのバラのように、深く絡み合いました。
「あ、指くん……そこ、だめ……っ」
えまさんのデザイナーとしての冷静な観察眼は、もうどこにもなかった。
指(ゆび)が彼女の敏感なライン――普段は自分がスケッチブックに描いていた曲線――を唇と指先でなぞるたびに、彼女は甘い声を上げて身をよじった。
指は、目の前の美しい年上の女性が、自分のためだけに乱れている事実に興奮を抑えきれなかった。
バラの剪定で鍛えられた指先は、繊細かつ力強く彼女を捉える。花弁を一枚一枚剥くように、あるいは蕾を優しく開くように。
二人の肌が触れ合うたび、汗ばんだ皮膚が吸着し、離れる瞬間に湿った音を立てる。
「えまさん、全部、俺にください」
「んっ……あげる、全部……」
指がえまさんの中に侵入した瞬間、彼女は「あぁっ!」と声を上げ、指の背中に爪を立てました。
それは、彼女自身が長い間心の奥底に封印していた「女」の部分が、棘によって刺し貫かれ、鮮血のように溢れ出した瞬間でした。
「すごい……指くん、すごい……」
それは、これまで積み上げてきた「大人の余裕」や「既婚者の良識」が、若く太い幹によって貫かれ、粉々に砕け散る瞬間だった。
何度も、何度も確かめ合うように深い場所で繋がり、絶頂の波が来るたびに、二人は獣のように声を殺して喘いだ。
浪人生の鬱屈も、デザイナーの孤独も、すべてが交じり合い、白い飛沫となって夜の闇に溶けていった。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む強烈な白い光で、指は目を覚ました。雪晴れの朝だ。
時計を見る。試験会場へ向かうには、あと30分で出なければならないギリギリの時間だった。
「……やばい、起きなきゃ」
指が慌ててベッドから抜け出そうとした時だった。
シーツの中から、白く滑らかな腕が伸びてきて、指の腰に巻き付いた。
「……まだ、行かないで」
眠気の残る、とろりとした甘い声。
振り返ると、えまさんが布団から顔を出し、上目遣いで指を見上げていた。乱れた髪、少し腫れた唇、そして昨夜の愛の痕跡が残る鎖骨。その姿は、あまりにも無防備で、艶めかしかった。
「えまさん、でも、今日……試験が」
「知ってる。……でも、身体が言うこと聞かないの」
えまさんは、指の腰に回した手に力を込めた。
昨夜、あれほど激しく愛し合ったのに、彼女の瞳はまだ熱を帯びていた。いや、一夜明けて、理性のタガが外れた「女」の部分が、朝の気だるさと相まって、より貪欲になっていたのだ。
「昨日の……まだ残ってる気がするけど、足りないの。……上書きして」
「えま、さん……?」
「このまま行って、試験中に私のこと思い出して集中できなかったら困るでしょ? ……だから、全部出し切ってきなさい」
それはあまりにも甘美で、危険な誘惑だった。
これから人生を左右する試験がある。体力も温存しなければならない。
けれど、目の前でパジャマの前をはだけさせ、自ら太ももを開いて誘う「憧れの人」を前にして、拒める男などいるはずがなかった。
「……遅刻したら、えまさんのせいですからね」
「ふふ、責任取ってあげる。……ほら、早く」
指は、履きかけた真紅のボクサーパンツ『ADAM』を再び膝まで下ろした。
朝の光の中、二人は再び絡み合った。
夜の獣のような交わりとは違い、それは互いの体温と匂いを骨の髄まで染み込ませるような、濃厚で粘り気のある行為だった。
カーテンの隙間から差し込む陽光が、シーツの上で絡み合う二人の肢体を白く照らし出す。
「……んっ、ぁ……深い……」
えまさんの吐息が、指(ゆび)の耳元をくすぐる。
昨夜の獣のような激しさとは違い、今の彼女は、波が寄せては返すように、ゆっくりと、しかし確実に指の全てを飲み込もうとしていた。
指もまた、焦燥感と背徳感の狭間で、彼女の温もりを自身の「根」に刻み込んでいた。これから向かう冷たい試験会場、無機質なマークシートの世界……そこへ行く前に、圧倒的な「生」の実感を補給するように。
「指くん、私を見て……」
えまさんが指の頬を両手で包み込む。
その瞳は潤み、とろんと蕩けていた。デザイナーとしての鋭い眼光は消え失せ、ただ一人の男を求める女の目だけがあった。
指は、彼女の腰をしっかりと抱き寄せ、その奥深くまで自身の存在を突き入れた。
「えまさん……好きです。全部、置いていきますから」
言葉は、衝動となって形を変えた。
最後の瞬間、二人の身体は弓のようにしなり、朝の静寂を破るほどの強烈な愛の結晶を分かち合った。それは昨夜の「上書き」などではない。魂の深い部分に打ち込まれた、消えることのない楔だった。
***
情事の後、時計の針は無情にも進んでいた。
シャワーを浴びる時間さえ惜しい。指は汗を拭うと、再びあの真紅のボクサーパンツ『ADAM』に足を通した。
肌に吸い付くようなフィット感。
さっきまでえまさんと繋がっていた熱が、まだ生地の奥に残っているような気がした。それはカイロよりも熱く、お守りよりも強力な、指だけの武器だった。
玄関先まで、バスローブ姿のえまさんが見送りに来た。
彼女の頬はまだ桜色に染まり、首筋には指が付けたキスマークが、朝日に照らされて妖艶に浮き上がっている。
「……行ってらっしゃい、指くん」
「行ってきます」
指は靴紐を固く結び、立ち上がった。
もう、迷いのある浪人生の顔ではなかった。
「あ、そうだ。これ」
えまさんが背伸びをして、指の唇に軽いキスを落とした。
「バラのお礼。……帰ってきたら、続き、しましょ?」
その言葉を背中に受け、指は雪の残る白い街へと駆け出した。
冷たい風が心地よかった。身体の芯が燃えている彼にとって、冬の寒さなど敵ではなかった。
数ヶ月後。
庭のバラたちが一斉に蕾をほころばせ始めた、麗らかな春の午後。
「あら、今年は『ピエール・ド・ロンサール』のアーチ、見事ね」
窓辺からえまさんが声をかけた。
庭には、作業着姿の指が立っている。彼は無事に志望校に合格し、大学生になっていた。しかし、ハサミを握るその手つきは変わらず、バラへの愛情もそのままだ。
ただ一つ、変わったことがあるとすれば――。
彼は持っていた剪定ばさみを置くと、フェンス越しに不敵な笑みを浮かべた。
「えまさん。……そろそろ、僕の『フィッティング』の時間じゃないですか?」
その言葉に、えまさんはハッとした。
それはかつて、二人が体を重ねるための口実だった言葉。
でも今の指の瞳は、「モニターとして履いてみる」なんていう受動的なものではなく、「俺の裸を見て、触れてほしい」という雄の欲望を隠そうともしていなかった。
「……あら。昼間から、激しいのがお好み?」
えまさんは顔を赤らめつつ、挑発に乗るように艶然と微笑んだ。
「新作の下着も気になりますけど……**あの雪の日の『続き』**がしたいんです」
指は剪定したばかりの、棘のある美しいバラを一輪、彼女に手渡した。
二人の視線が絡み合う。
言葉にしなくても分かる。これからカーテンを閉め切った部屋で、服を脱ぎ捨て、互いの成長を確かめ合う濃厚な時間が始まるのだ。
浪人の冬は終わり、二人の秘密の園に、爛漫の春が訪れていた。(完)
その日、指(ゆび)が選んだのは、深い深紅色の「パパメイアン」と、淡いピンクの「ピエール・ド・ロンサール」だった。朝露がまだ花弁に残るその花束を手に、指は生け垣越しに声をかけるのではなく、きちんと玄関のチャイムを鳴らした。
「あら、指くん。また咲いたの?」
ドアを開けたえまさんは、緩く束ねた髪とエプロン姿だった。ふわりと、バラとは違う柔軟剤のような優しい香りがする。
「はい。一番花が終わる前に切らないと、株が疲れちゃうんで……よかったら」
「まあ、すごい。今回のも本当に立派ね」
えまさんは、まるで宝石でも受け取るように、両手で花束を受け取った。彼女が花に顔を近づけて香りを吸い込むその仕草を見るたび、指の胸の奥で、棘(トゲ)に刺されたような痛痒い何かが走る。
「指くんの手は、魔法の手ね」
えまさんがふと、真顔になって言った。
「あんなに細い苗だったのに、こんなに綺麗な花を咲かせられるんだもの。……きっと、勉強の方も、今は冬の時期でも、ちゃんと蕾を持ってるわよ」
その言葉は、予備校の模試の結果が悪くて落ち込んでいた指の心に、雨のように染み込んだ。
「……咲きますかね、俺も」
「咲くわよ。私が保証する。だって、こんなに優しい花を育てられるんだから」
彼女の笑顔は、庭のどのバラよりも眩しかった。指は、次の模試までもう少し頑張ってみようと、剪定ばさみを握りしめた指先に力を込めた。
「いつもありがとう、指くん」
えまさんはいつものように微笑んだが、その日はどこか様子が違った。受け取った真紅のバラを見つめる瞳が、どこか遠く、冷たい場所を見ているようだったからだ。
「あの……えまさん? このバラ、嫌いでしたか?」
「ううん、違うの。……綺麗すぎて、怖いくらい」
彼女は独り言のように呟くと、ハッとしたように指を見た。
「ねえ、指くん。バラって、美しく咲かせるためには、余分な枝を切り落とさなきゃいけないのよね?」
「はい、剪定は大事です。栄養を集中させるために」
「そうよね……。何かを得るためには、何かを切り捨てなきゃいけない」
「指くん、これ何ていう種類? 先週のと香りが違う!」
えまさんは、すっかり指のバラ講座の生徒になっていた。
「これは『ナエマ』です。ゲランの香水から名前がついたバラで、香りが強くてフルーティーなんですよ」
指が早口で解説を始めると、えまさんは「へぇ~!」と目を輝かせる。浪人生としての自己肯定感が底辺にある指にとって、自分の知識で誰かが喜んでくれるこの時間は、唯一の救いだった。
「すごいなぁ。私なんてサボテンも枯らしちゃうのに。……ねえ、今度お礼に夕飯ごちそうさせてよ。旦那、出張でいないし、作りすぎちゃって」
「えっ、いや、そんな悪いですよ」
「いいのいいの! 受験生には栄養が必要だし、バラのお礼!」
その夜、指はえまさんの手料理を食べながら、ふと気づく。彼女がバラを喜んでくれていたのは本当だが、実は「昼間、広い家に一人でいる寂しさ」を、庭越しの会話で埋めていたのではないかと。
バラがつないだ、浪人生と人妻の奇妙な友情(?)物語。
ある日、いつものようにバラ(その日は鮮やかなオレンジの『ブラスバンド』)を届けた指に、えまさんが深刻な顔で相談を持ちかけます。
「指くん……変なこと聞くけど、今のパンツ、履き心地どう?」
「は、はい……!?(真っ赤になる指)」
えまさんは笑わずに真剣です。彼女はキャリアの転換点として、初の男性用ライン『ADAM(アダム)』のチーフに抜擢されたものの、女性である自分には「男性のリアルな着心地」や「若者の感性」が分からず、行き詰まっていたのです。夫は体型が崩れていて参考にならないし、社内の男性社員の意見は建前ばかり。
「お願い。指くん、毎日庭仕事で動くでしょ? 動きやすさと、蒸れにくさ……私の試作品のモニターになってくれない?」
指は断りきれず、えまさんから渡された試作品(まだタグもついていない黒いボクサーパンツ)を履いて、庭でバラの世話をすることになりました。
後日、フェンス越しに感想を求められ
「えっと……あの、屈んだ時の締め付けが、以前のよりキツくないです。でも、しゃがんで剪定する時、太ももの裏が少し……」
「なるほど、カッティングの角度ね! ありがとう、すごい参考になる!」
指は気づきます。えまさんが下着について語る時の熱量は、自分がバラの剪定や土作りについて語る時のそれと同じなのだと。「機能美」と「見た目の美しさ」の両立。
「ねえ指くん。このバラの『ベルベットのような質感』……これを生地で再現できないかな?」
二人は、バラの花弁を触りながら、理想の生地感について語り合うようになりました。
予備校では「無職」「まだ何者でもない」扱いの指ですが、えまさんの前では「貴重な意見をくれる若きアドバイザー」です。
ある日、えまさんが開発に行き詰まり、庭のベンチでため息をついていました。
「男性が、これを履いて『勝負しよう』って思えるような……そんな自信をくれる一枚にしたいの。でも、自信って何なのかしら」
指は、手入れしたばかりの真紅のバラを見つめて言います。
「バラも……土の中に根っこがしっかり張ってないと、いい花は咲かないんです。見えない部分が大事っていうか……。だから、誰にも見えないけど、自分だけが知ってる『いいもの』を身に着けてると、背筋が伸びる気がします」
その言葉に、えまさんはハッとします。
「見えない根っこ……そうね、それがアンダーウェアの本質かも」
数日後
「え、ここで……ですか?」
指の声が裏返った。
午後の日差しが傾きかけた庭。周囲は生け垣と、彼が丹精込めて育てた背の高いイングリッシュローズの茂みに囲まれている。外からは見えない「密室」だ。
「お願い。実際に土を踏んで、しゃがんで、汗をかいた時の生地の『張り』が見たいのよ」
えまさんは真剣そのものだった。手にはスケッチブックとメジャーを持っている。
「嫌なら無理には言わないけど……指くんの筋肉のつき方、すごく参考になるから」
その言葉が引き金になった。
指は家に入り、古びたジャージを脱ぎ捨て、渡された試作品のボクサーパンツ(色は深いボルドー、偶然にも庭のバラ『黒真珠』に似た色だった)一丁になる。
恥ずかしさで心臓が破裂しそうだったが、それ以上に、**「あの綺麗なえまさんが、僕の体を見る」**という事実が、脳髄を痺れさせた。
庭に出ると、冷たい秋風が肌を刺したが、顔だけは火のように熱い。
えまさんは、裸に近い姿の指を見ても、顔色ひとつ変えずに頷いた。
「うん、やっぱり。細身だけど、毎日庭仕事してるから、太もものラインが綺麗ね」
彼女は遠慮なく近づいてくる。
指がバラの剪定をするふりをして、ハサミを構えて屈伸すると、えまさんの視線が腰回りからお尻のラインに吸い付くように注がれるのを感じた。
「指くん、そのままでストップ。……ここ、食い込んでない?」
えまさんの白くて細い指が、恐る恐る、けれど確実に、指の太ももの付け根――ボクサーパンツの裾の部分に触れた。
ひんやりとした彼女の指先が、熱を持った自分の肌に触れる。
「っ……大丈夫、です」
「そう? 素材の伸縮率はいいみたいね。じゃあ次は、高い枝を切るみたいに背伸びしてみて」
指は言われるがままに腕を伸ばす。肋骨が浮き上がり、腹筋が伸びる。
無防備なその姿を、えまさんはスケッチブックにさらさらと走らせる。
「……綺麗」
ふと、彼女が漏らした言葉。
それは「下着のシルエット」を指したのか、それとも「指自身の体」を指したのか。
指は、バラの棘に触れた時のような鋭い痛みと甘さを同時に感じた。
「ねえ、指くん」
えまさんがスケッチの手を止めて、上目遣いで彼を見た。夕日が彼女の瞳を濡れたように輝かせている。
「私がデザイナーじゃなくて、ただの隣の奥さんだったら……こんな格好、見せてくれなかった?」
その質問は、明らかに「テスト」の範疇を超えていた。
指の中で膨らんでいた「期待」が、確信に変わりそうになる。
「……えまさんが、見たいなら」
指がそう答えると、えまさんは悪戯っぽく、でもどこか寂しげに微笑んだ。
「浪人生をからかっちゃだめね。……でも、今の指くん、庭のどのバラよりも生命力があって、ドキドキしちゃった」
夕闇が迫る庭から、えまさんの自宅へと招き入れられた。
通されたのは、リビングの奥にあるアトリエだった。トルソーや布のサンプルが散乱するその部屋は、甘い香水の匂いと、微かに布埃の匂いが混じり、どこか秘密めいた空気が漂っていた。
「……ごめんね、変なこと頼んで。でも、最大膨張時の生地のテンション(張力)を確認しないと、商品化できなくて」
えまさんは背を向けたまま、震える手でドアの鍵をカチャリと閉めた。その音は、指(ゆび)の耳には、退路を断つ音に聞こえた。
「大丈夫です。……俺、えまさんの役に立ちたいですから」
指の声は渇いていた。
庭では冷たい風が熱を冷ましてくれていたが、室内は暖房が効いていて生温かい。ボクサーパンツ一丁の肌に、室内の空気がまとわりつく。
「じゃあ……そこに立って」
えまさんが振り返る。その頬は、夕日のせいだけではなく、紅潮していた。
彼女の視線が、再び指の下半身へと落ちる。
「リラックスしなくていいわ。……想像して。あなたの好きなものを。あるいは、今、目の前にいる私を」
その言葉は、最後の一押しだった。
これまで必死に「自分はただのモニターだ」「相手は既婚者の隣人だ」と理性で押さえつけていたダムの壁が、音を立てて崩壊した。
――あふれる。
指の中で、若さゆえの奔放な血液が暴れだした。
バラの蕾が、内側からの圧力に耐えきれずに硬いガクを突き破って咲くように。
えまさんが開発した『ADAM』の繊細な生地が、悲鳴を上げるように引き伸ばされていく。
「っ……!」
指は恥ずかしさで顔を覆いたかったが、えまさんの視線に金縛りにあったように動けなかった。
深紅の生地が、脈打つ熱を帯びて、ありのままの形を浮き彫りにしていく。庭での寒さで縮こまっていた時とは全く違う、攻撃的で、雄々しいシルエット。
えまさんは、息を呑んだ。
スケッチブックを持つ手は下ろされ、彼女はふらりと吸い寄せられるように指の前に膝をついた。
「……すごい」
彼女の瞳孔が開いているのが分かった。
それはデザイナーとして「製品の耐久性」を見ている目ではなかった。
「合格よ、指くん」と呟く唇が乾いている。
「生地、破けそうじゃないですか? ……痛くない?」
えまさんの問いかけは震えていた。
「……痛いです。でも、苦しくはない」
「そう……よかった」
えまさんの手が、ゆっくりと伸びてくる。
今度は「検査」という名目のもと、生地の上からではなく、その熱源そのものを確かめようとするかのように。
「ねえ、指くん。バラは咲いたら、誰かが愛でてあげないと……かわいそうよね?」
その言葉とともに、彼女の指先が、限界まで張り詰めた布地に触れた瞬間、指の視界は真っ白に弾けた。浪人生活の鬱屈も、将来の不安もすべて吹き飛び、ただ「男」としての本能だけが、目の前の美しい女性を求めて叫び声を上げていた。
えまさんの指先が、限界まで張り詰めた布地から、ふわりと離れた。
まるで、触れていたバラの花びらが散るのを惜しむように、けれど断固として。
「……自分で、できる?」
その言葉は、優しく響いたけれど、内容は耳を疑うものだった。
指は荒い息をつきながら、潤んだ瞳でえまさんを見つめ返した。彼女はもう触れてはくれない。ただ、その大きな瞳でじっと、指の反応を「データ」として収集しようとしていた。
「この生地、吸湿速乾性が売りなの。……だから、最後までどうなるか、その目で確かめさせて」
それは実験という名の命令だった。
指は震える手で、自身のモノを握りしめた。夫がいる女性の目の前で、しかも彼女がデザインした下着を履いたまま、自分を慰める行為を見せる。
本来なら屈辱で逃げ出したくなる状況だが、目の前のえまさんの視線が、指の理性を焼き切っていた。彼女は軽蔑などしていない。むしろ、これから起こる生命の奔流を、芸術品でも見るように待ち構えている。
「っ、えま、さん……見ないで、いや、見て……」
支離滅裂な言葉が漏れる。
指の手が動くたびに、ボルドー色のボクサーパンツが波打ち、筋肉の筋が浮き上がる。
えまさんはスケッチブックを置き、両腕を組んで、その光景を網膜に焼き付けていた。時折、ゴクリと喉が鳴る音が、静まり返ったアトリエに響く。
そして、限界が訪れた。
「あっ、だめ、出ます……っ!」
堰を切ったように、指の身体が弓なりに反った。
バラの蕾が弾けるように、あるいは花びらが嵐に散らされるように、若い雄の衝動が溢れ出した。
えまさんは一歩も退かず、むしろ身を乗り出して、その瞬間を見届けた。生地がどのように汚れ、どのように液体を受け止めるのか。そして、事後の男の身体がどのように弛緩していくのかを。
「……はあ、はあ……」
すべてが終わった後、指は賢者タイムの虚脱感と、死にたくなるような強烈な羞恥心に襲われ、床に崩れ落ちそうになった。
汚れてしまった試作品。情けない自分。
そんな指に、えまさんはティッシュの箱を差し出した。抱きしめてくれるわけでも、キスをしてくれるわけでもない。
「……お疲れ様。すごいデータが取れたわ」
えまさんの声は、少しだけ震えていたが、あくまで「仕事相手」としての距離を保っていた。
「やっぱり、ここは補強が必要ね。……それと、肌触りはどうだった? 濡れた後の不快感は?」
事後の余韻に浸ることさえ許されない、残酷なインタビュー。
指は赤面したまま、蚊の鳴くような声で答えるしかなかった。
「……すぐに、サラッとしました。……不快じゃ、ないです」
「そう。ありがとう、指くん。……最高のモニターよ」
えまさんは、汚れたボクサーパンツを「洗濯しておくから」と回収しようとはしなかった。「それはあげるわ。記念に、ね」と、意味深に微笑んだだけだった。
帰り際、玄関で冷たい夜風に吹かれた指は、自分がとんでもない泥沼に足を踏み入れたことを自覚した。
えまさんは一線を超えさせてくれなかった。けれど、彼女の目の前で果ててしまった事実が、セックスするよりも深い「主従」のような楔(くさび)を打ち込んでいた。
季節は冬へ。庭のバラは休眠期に入り、指は受験本番(共通テスト)を目前に控えていました。
あの一件以来、えまさんは週に一度、新しい試作品を指に渡すようになりました。
「今度は縫い目を変えてみたの。……また、見せてくれる?」
彼女は決して、指に触れようとはしませんでした。
アトリエで指がパンツ姿になり、彼女の前で高ぶり、それを必死に抑え込む様子を、えまさんは紅茶を飲みながら楽しむかのように観察するだけ。
「よしよし、我慢強い子ね。今日はここまで」
寸止めで帰されることもあれば、「処理」を命じられることもある。
指にとって、それは屈辱でありながら、受験勉強のストレスを唯一忘れられる、麻薬のような時間でした。えまさんにとって指は、夫のいない寂しさを埋める玩具であり、決して噛みつかないと信じ込んでいた「去勢されたライオン」だったのです。
変化が訪れたのは、大雪が降った夜のことでした。
センター試験(共通テスト)の前日。不安で押しつぶされそうになった指は、参考書を放り出し、降りしきる雪の中、えまさんの家のチャイムを鳴らしました。
「指くん? 明日早いんでしょう? 風邪ひいちゃうわよ」
玄関に現れたえまさんは、驚きつつも招き入れてくれました。
暖かいリビング。えまさんの甘い匂い。
指は震える声で言いました。
「……落ち着かないんです。えまさんの顔を見ないと、明日、戦えない」
えまさんは、困ったような、でもどこか嬉しそうな顔で笑いました。
「しょうがない子ね。……じゃあ、気合を入れてあげる。新作の『ADAM』、最終完成形よ。これを履いて試験に行きなさい」
渡されたのは、真紅のボクサーパンツ。あの日、指が咲かせたバラ『パパメイアン』と同じ、深く濃い赤色でした。
「ここで履き替えて。……サイズが合うか、私がチェックしてあげるから」
いつもの「ペット扱い」でした。
しかし、その日の指は違いました。ズボンを脱ぎ、真紅の下着を身に着けた指は、鏡に映る自分の姿を見て、ふと気づいたのです。
(俺は、いつまで「イイ子」でいるんだ?)
明日、試験が終われば、春にはこの町を出るかもしれない。この関係も終わる。
そう思った瞬間、指の中で何かが切れました。
「うん、完璧なフィット感ね。これなら……きゃっ!?」
しゃがみ込んで裾を直そうとしたえまさんの腕を、指が強く掴みました。
「指くん……?」
「もう、チェックは終わりですか? 観るだけですか?」
指の目は、怯えた小動物のそれではなく、獲物を狙う獣の目をしていました。
「痛い、離して……」
「えまさんが育てたんですよ。……毎日水をやって、肥料をやって、こんな風になるように」
指はえまさんを強引に引き寄せると、その唇を塞ぎました。
最初は抵抗していたえまさんでしたが、指の身体から発せられる熱と、これまで抑え込まれていた激情に当てられ、次第に力が抜けていきます。
「だめ……明日、試験なのに……」
「試験の前だからです。……自信を、ください」
指は、えまさんをリビングのソファへと押し倒しました。
いつもは「見られる側」だった指が、初めて「見る側」になり、えまさんの衣服を剥ぎ取っていきます。
現れた彼女の白い肌は、冬のバラのように冷たく、けれど内側に熱を秘めていました。
「指くん、だめ、私……っ」
「えまさん。俺はもう、ただのモニターじゃない」
これまで「観察者」として冷静を保っていたえまさんが、今は指の下で乱れ、喘ぎ、彼を求めている。その事実は、指に無限の自信を与えました。
窓の外では雪が降り積もる中、二人は何度も求め合い、まるで春を待てずに咲き誇る狂い咲きのバラのように、深く絡み合いました。
「あ、指くん……そこ、だめ……っ」
えまさんのデザイナーとしての冷静な観察眼は、もうどこにもなかった。
指(ゆび)が彼女の敏感なライン――普段は自分がスケッチブックに描いていた曲線――を唇と指先でなぞるたびに、彼女は甘い声を上げて身をよじった。
指は、目の前の美しい年上の女性が、自分のためだけに乱れている事実に興奮を抑えきれなかった。
バラの剪定で鍛えられた指先は、繊細かつ力強く彼女を捉える。花弁を一枚一枚剥くように、あるいは蕾を優しく開くように。
二人の肌が触れ合うたび、汗ばんだ皮膚が吸着し、離れる瞬間に湿った音を立てる。
「えまさん、全部、俺にください」
「んっ……あげる、全部……」
指がえまさんの中に侵入した瞬間、彼女は「あぁっ!」と声を上げ、指の背中に爪を立てました。
それは、彼女自身が長い間心の奥底に封印していた「女」の部分が、棘によって刺し貫かれ、鮮血のように溢れ出した瞬間でした。
「すごい……指くん、すごい……」
それは、これまで積み上げてきた「大人の余裕」や「既婚者の良識」が、若く太い幹によって貫かれ、粉々に砕け散る瞬間だった。
何度も、何度も確かめ合うように深い場所で繋がり、絶頂の波が来るたびに、二人は獣のように声を殺して喘いだ。
浪人生の鬱屈も、デザイナーの孤独も、すべてが交じり合い、白い飛沫となって夜の闇に溶けていった。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む強烈な白い光で、指は目を覚ました。雪晴れの朝だ。
時計を見る。試験会場へ向かうには、あと30分で出なければならないギリギリの時間だった。
「……やばい、起きなきゃ」
指が慌ててベッドから抜け出そうとした時だった。
シーツの中から、白く滑らかな腕が伸びてきて、指の腰に巻き付いた。
「……まだ、行かないで」
眠気の残る、とろりとした甘い声。
振り返ると、えまさんが布団から顔を出し、上目遣いで指を見上げていた。乱れた髪、少し腫れた唇、そして昨夜の愛の痕跡が残る鎖骨。その姿は、あまりにも無防備で、艶めかしかった。
「えまさん、でも、今日……試験が」
「知ってる。……でも、身体が言うこと聞かないの」
えまさんは、指の腰に回した手に力を込めた。
昨夜、あれほど激しく愛し合ったのに、彼女の瞳はまだ熱を帯びていた。いや、一夜明けて、理性のタガが外れた「女」の部分が、朝の気だるさと相まって、より貪欲になっていたのだ。
「昨日の……まだ残ってる気がするけど、足りないの。……上書きして」
「えま、さん……?」
「このまま行って、試験中に私のこと思い出して集中できなかったら困るでしょ? ……だから、全部出し切ってきなさい」
それはあまりにも甘美で、危険な誘惑だった。
これから人生を左右する試験がある。体力も温存しなければならない。
けれど、目の前でパジャマの前をはだけさせ、自ら太ももを開いて誘う「憧れの人」を前にして、拒める男などいるはずがなかった。
「……遅刻したら、えまさんのせいですからね」
「ふふ、責任取ってあげる。……ほら、早く」
指は、履きかけた真紅のボクサーパンツ『ADAM』を再び膝まで下ろした。
朝の光の中、二人は再び絡み合った。
夜の獣のような交わりとは違い、それは互いの体温と匂いを骨の髄まで染み込ませるような、濃厚で粘り気のある行為だった。
カーテンの隙間から差し込む陽光が、シーツの上で絡み合う二人の肢体を白く照らし出す。
「……んっ、ぁ……深い……」
えまさんの吐息が、指(ゆび)の耳元をくすぐる。
昨夜の獣のような激しさとは違い、今の彼女は、波が寄せては返すように、ゆっくりと、しかし確実に指の全てを飲み込もうとしていた。
指もまた、焦燥感と背徳感の狭間で、彼女の温もりを自身の「根」に刻み込んでいた。これから向かう冷たい試験会場、無機質なマークシートの世界……そこへ行く前に、圧倒的な「生」の実感を補給するように。
「指くん、私を見て……」
えまさんが指の頬を両手で包み込む。
その瞳は潤み、とろんと蕩けていた。デザイナーとしての鋭い眼光は消え失せ、ただ一人の男を求める女の目だけがあった。
指は、彼女の腰をしっかりと抱き寄せ、その奥深くまで自身の存在を突き入れた。
「えまさん……好きです。全部、置いていきますから」
言葉は、衝動となって形を変えた。
最後の瞬間、二人の身体は弓のようにしなり、朝の静寂を破るほどの強烈な愛の結晶を分かち合った。それは昨夜の「上書き」などではない。魂の深い部分に打ち込まれた、消えることのない楔だった。
***
情事の後、時計の針は無情にも進んでいた。
シャワーを浴びる時間さえ惜しい。指は汗を拭うと、再びあの真紅のボクサーパンツ『ADAM』に足を通した。
肌に吸い付くようなフィット感。
さっきまでえまさんと繋がっていた熱が、まだ生地の奥に残っているような気がした。それはカイロよりも熱く、お守りよりも強力な、指だけの武器だった。
玄関先まで、バスローブ姿のえまさんが見送りに来た。
彼女の頬はまだ桜色に染まり、首筋には指が付けたキスマークが、朝日に照らされて妖艶に浮き上がっている。
「……行ってらっしゃい、指くん」
「行ってきます」
指は靴紐を固く結び、立ち上がった。
もう、迷いのある浪人生の顔ではなかった。
「あ、そうだ。これ」
えまさんが背伸びをして、指の唇に軽いキスを落とした。
「バラのお礼。……帰ってきたら、続き、しましょ?」
その言葉を背中に受け、指は雪の残る白い街へと駆け出した。
冷たい風が心地よかった。身体の芯が燃えている彼にとって、冬の寒さなど敵ではなかった。
数ヶ月後。
庭のバラたちが一斉に蕾をほころばせ始めた、麗らかな春の午後。
「あら、今年は『ピエール・ド・ロンサール』のアーチ、見事ね」
窓辺からえまさんが声をかけた。
庭には、作業着姿の指が立っている。彼は無事に志望校に合格し、大学生になっていた。しかし、ハサミを握るその手つきは変わらず、バラへの愛情もそのままだ。
ただ一つ、変わったことがあるとすれば――。
彼は持っていた剪定ばさみを置くと、フェンス越しに不敵な笑みを浮かべた。
「えまさん。……そろそろ、僕の『フィッティング』の時間じゃないですか?」
その言葉に、えまさんはハッとした。
それはかつて、二人が体を重ねるための口実だった言葉。
でも今の指の瞳は、「モニターとして履いてみる」なんていう受動的なものではなく、「俺の裸を見て、触れてほしい」という雄の欲望を隠そうともしていなかった。
「……あら。昼間から、激しいのがお好み?」
えまさんは顔を赤らめつつ、挑発に乗るように艶然と微笑んだ。
「新作の下着も気になりますけど……**あの雪の日の『続き』**がしたいんです」
指は剪定したばかりの、棘のある美しいバラを一輪、彼女に手渡した。
二人の視線が絡み合う。
言葉にしなくても分かる。これからカーテンを閉め切った部屋で、服を脱ぎ捨て、互いの成長を確かめ合う濃厚な時間が始まるのだ。
浪人の冬は終わり、二人の秘密の園に、爛漫の春が訪れていた。(完)