第1章:シュレッダーの淵で
「指くん、指貸して。そこ、押さえてて」

えまさんの指示に、指は「え、僕の指を?」と一瞬戸惑いながらも、シュレッダーの蓋を支えた。二人の距離は、カウンターの仕切りを挟んでわずか数センチ。えまさんの髪から、微かに石鹸のような清潔な香りが漂ってくる。

「……えまさん、近い」 「うるさい。バレたら指くんだけじゃなくて、私の管理責任も問われるんだからね」

えまさんがピンセットで、シュレッダーの刃に挟まった「指」の名前が書かれた紙片を慎重に救出しようとした、その時だった。

「――おい、そこで何をしている」

背後から、冷え切った空気のような声がした。予備校の絶対君主、校舎長だ。

「っ!」

反射的に、えまさんが指の腕を掴んで、カウンターの下へと引き込んだ。指は勢い余って、えまさんの足元の狭いスペースに転がり込む形になる。

「あだ……」 「静かに!」

えまさんは素早くシュレッダーの蓋を閉じ、何事もなかったかのように立ち上がった。指は今、えまさんの事務机の下、彼女の膝のすぐ近くで息を潜めている。

「……校舎長、お疲れ様です。シュレッダーの調子が悪かったので、確認していただけです」 「そうか。受験生に無駄な音を聞かせるな。ところで、19歳の……あの、名前の変わった……指という生徒を見かけなかったか? 模試の提出がまだだと聞いたが」

机の下で、指は自分の名前を呼ばれて心臓が口から飛び出しそうになった。えまさんのスカートの裾が、指の頬をかすめる。彼女の細い足が、緊張で少し強張っているのが分かった。

「指くんなら、さきほど自習室へ向かいましたよ。かなり気合が入っている様子でした」 「……ふん、ならいい。あいつは集中力が散漫なのが欠点だ。君も余計な便宜を図るんじゃないぞ」

校舎長の足音が遠ざかっていく。 完全な静寂が訪れた後、えまさんが力抜けたように椅子に座り込んだ。すぐ目の前に、彼女の顔が降りてくる。

「……ねえ、指くん。いつまで私の足元にいるつもり?」

少し赤くなった顔で睨むえまさんと、机の下で小さくなっている指。 これが、二人の「絶対にバレてはいけない関係」の始まりだった。 

あの日以来、指にとって事務室はただの手続き場所ではなくなった。  校舎長に見つからないよう、質問カードの隅に小さな「ありがとう」の文字を書く。すると翌日には、返却される模試結果の端に、えまさんの小さく、けれど綺麗な字で「勉強しなさい」とだけ返ってくる。そんな隠密なやり取りが、指の受験生活の唯一の支えになっていた。

 ある日の閉館直前。  自習室を出た指は、忘れ物を確認するために誰もいないラウンジを通った。すると、事務室の奥にある休憩スペースから、小さな声が聞こえてきた。

「……はぁ、また落ちちゃった」

 その声の主は、間違いなくえまさんだった。  指がそっと覗き込むと、そこにはいつも凛としている彼女が、机に突っ伏して、バラバラになった「不合格通知」を前に肩を落としていた。

「えまさん……?」 「っ! 指くん!? なんで、まだ残ってるの」

 慌てて書類を隠そうとした彼女の手から、一枚の紙が滑り落ちた。指がそれを拾い上げると、そこには**『気象予報士試験』**の文字。  偏差値の高い大学を卒業したはずの彼女が、実は何度もこの超難関資格に落ち続けていること。そして、予備校で「生徒を励ます側」でいることが、今の彼女にとってどれほどプレッシャーになっているか。

「……笑えばいいよ。受験生を指導する立場の事務員が、自分は試験に落ち続けてるんだから」

 自嘲気味に笑うえまさんの瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。  いつも完璧だと思っていた二十二歳の彼女が、急に自分と同じ、あるいは自分以上に「合格」という二文字に苦しんでいる一人の女の子に見えた。

「笑うわけないじゃないですか」

 指は、拾い上げた不合格通知を、丁寧に彼女に返した。

「えまさん。僕、次の模試でA判定出します。だから――」

 指はえまさんの目を真っ直ぐに見つめ、一歩踏み出した。

「えまさんも、次、絶対受かってください。僕たちが一緒に受かったら……二人で、この予備校に『退職願』と『卒業証書』を叩きつけに行きましょう」

 えまさんは一瞬呆然とした後、ふっと、これまでで一番柔らかい、本当の笑顔を見せた。

「……何それ、最悪。でも、最高に不純な動機ね」


第3章:聖夜の自習室、21時45分
 12月24日。街が浮かれた色に染まる中、予備校の自習室だけは、鉛筆が紙をひっかく音と、重苦しい溜息だけが支配していた。

 閉館15分前。  指は、冷え切った指先を温めるようにして、最後の過去問を解き終えた。ふと顔を上げると、いつの間にか他の生徒たちは帰り、自習室には指一人だけが残されていた。

 パサリ、と入口の扉が開く音がした。 「……指くん、まだいたの」

 見上げると、えまさんが立っていた。手には見回りのための名簿。でも、その表情は「事務員」のものではなく、一人の「えま」としての、少しだけ寂しげで優しいものだった。

「お疲れ様。……これ、頑張ってる受験生に、事務室からのサービス」

 彼女がそっと指の机に置いたのは、温かい紙コップ。中にはココアが入っていて、ほんのりと甘い香りが立ち上った。

「ありがとうございます。……えまさん、気象予報士の勉強、進んでますか?」 「まあね。指くんがA判定なんて出すから、私も負けてられないなって」

 えまさんは、指の隣の席に、少しだけためらいながら腰を下ろした。普段なら絶対に許されない、生徒とスタッフの「密会」。でも、今夜だけは、冷たい校舎長も街の喧騒に紛れて早く帰宅している。

「ねえ、指くん。……指を見せて」

 唐突な言葉に、指はドキリとして、右手を差し出した。  えまさんは、その指先をじっと見つめる。ペンだこができ、少しだけ黒ずんだ指。それは、彼が積み重ねてきた努力の結晶だった。

「指くんの指、かっこいいよ。……私、知ってる。あなたが誰よりも遅くまで残って、誰も見ていないところで必死に戦ってること」

 えまさんの指先が、指の手の甲に、羽が触れるような軽さで触れた。 「これ、クリスマスプレゼント。……合格のお守りだよ」

 彼女が差し出したのは、小さな青い付箋。そこには、彼女が予報したであろう、数ヶ月後の天気が書かれていた。

『4月1日:快晴。あなたの新しい門出に、絶好の桜日和。』

「……これ、予報じゃなくて、予言ですよね?」 「気象予報士の卵を信じなさいよ」

 えまさんは照れ隠しに笑うと、一瞬だけ、指の手に自分の手を重ねた。  外は雪が降り始めていた。暖房の切れた自習室で、重なった手の体温だけが、驚くほど熱かった。

「……受かったら、ちゃんと言いたいことがあります」  指の言葉に、えまさんは一瞬だけ息を呑み、そして強く頷いた。

「待ってる。……だから、絶対、私の予報を当てさせて」


最終章:予報通りの、桜日和
 四月一日。  予備校の掲示板に貼られた合格者一覧に、自分の受験番号を見つけた瞬間、指(ゆび)の頭に真っ先に浮かんだのは、あの青い付箋の言葉だった。

『快晴。あなたの新しい門出に、絶好の桜日和。』

 空を見上げれば、雲一つない青。予報は完璧に的中していた。  指はそのまま、かつて通い詰めた予備校の校舎へと走った。もはや受講生ではない。入館証も持っていない。けれど、入口の自動ドアが開いた先に、彼が求めていた人はいた。

 カウンターの向こう側。  いつもと同じ制服を着たえまさんが、電話応対を終えてふと顔を上げた。指の姿を認めると、彼女の瞳が大きく揺れる。

「指、くん……」

「えまさん! 僕、受かりました。……全部、合格です!」

 ロビーにいた数人の後輩たちが驚いてこちらを見る。奥からあの「鬼の校舎長」が顔を出そうとするのが見えたが、指はもう止まらなかった。  彼はカウンター越しに、えまさんの手を取った。

「約束、守りに来ました。……えまさんは?」

 えまさんは一瞬、困ったように周囲を気にし、それから意を決したように、デスクの引き出しから一通の封筒を取り出した。

「……私の予報、外したことないって言ったでしょ」

 そこにあったのは、気象予報士試験の合格証書。そして、その下にはすでにサインの入った『退職願』が重なっていた。

「二十二歳の私が、十九歳のあなたに、こんなに本気にさせられるなんて思わなかった。……指くん、もうここは、私たちがこっそり会う場所じゃないね」

 えまさんは制服のリボンに手をかけ、少しだけいたずらっぽく笑った。

「お待たせ。……今日からは、ただの『えま』だよ」

 二人は、呆然と立ち尽くす校舎長を背に、春の光が溢れる外へと歩き出した。  予備校の門をくぐり抜けた瞬間、指は繋いだ手に力を込めた。

「えま。……ずっと、好きでした」

 名前で呼ばれた彼女が、春風に髪をなびかせて振り返る。その顔は、事務員としての完璧な微笑みではなく、恋をする一人の女性の、最高に幸せそうな笑顔だった。

「知ってる。……私も、ずっと同じ予報だったよ」

 満開の桜の下、二人の「本当の物語」が、今ここから始まった。

(完)

シーズン2

『予報外れの、恋の続き』
 予備校を卒業して三ヶ月。  大学の講義にも慣れ始めた六月の午後、指は駅前の待ち合わせ場所に立っていた。  手元にあるスマホの画面には、昨日届いた短いメッセージ。

『明日、予報士として初めての外回りがあるから、そのあと少し会える?』

 送ってきたのは、えまさんだ。  あの日、桜の下で想いを伝え合って以来、連絡は取り合っていた。けれど、お互いに新生活が忙しく、直接顔を合わせるのは今日が初めてだった。

「……指くん!」

 聞き慣れた、けれど少しだけ緊張した声。  振り返ると、そこには制服姿ではないえまさんがいた。涼しげなサックスブルーのブラウスに、タイトなスカート。予備校のカウンターにいた頃よりも、ずっと眩しく、大人の女性に見える。

「……えま、さん」 「……何、その間。似合ってない?」 「逆です。綺麗すぎて、一瞬、声かけるの躊躇しました」

 指が正直に伝えると、えまさんは「もう、そういうこと、さらっと言えるようになったんだ」と、頬を微かに赤らめて笑った。

 二人は近くのカフェに入った。  かつて予備校の机の下で隠れて話していた頃とは違い、今は誰の目も気にする必要はない。それなのに、指はなんだか落ち着かない気分だった。

「指くん、大学はどう? ちゃんと勉強してる?」 「してますよ。でも、えまさんがいないから、集中力が切れたときに事務室を見ちゃう癖が抜けなくて困ってます」 「ふふ、もう私はそこにいないよ。今は……空を見てる」

 えまさんはそう言って、バッグから一冊のノートを取り出した。そこには、びっしりと書き込まれた観測データ。 「今日ね、初めて現場で空の状態を報告したの。……指くんにあの付箋を渡した時、本当はすごく怖かったんだから。もし外れたら、合わせる顔がないって」

「当ててくれたじゃないですか。最高の快晴」

 指はテーブル越しに、えまさんの手をそっと探った。  今度は、彼女が驚く番だった。

「……指くん?」 「大学生になったら、ちゃんと言おうと思ってたんです。えまさん、僕、あなたの『予報』がなくても、これからは自分で会いに行きます。だから……」

 指は、少しだけ背伸びをして、彼女の目を見つめた。

「今日は『指くん』じゃなくて、『指』って呼んでくれませんか? 僕も、一人の男として、えまを支えられるようになりたいから」

 えまさんは一瞬目を見開いた後、観念したようにふっと笑みをこぼした。そして、重なった指先に、ぎゅっと力を込める。

「……わかった。よろしくね、指」

 窓の外では、梅雨の合間の強い日差しが降り注いでいた。  二人の恋の予報は、これから先もしばらく、雲一つない快晴が続きそうだった。

『重なる歩幅、変わる呼び名』
 カフェを出た後、二人は川沿いの遊歩道を歩いていた。  大学生になった指の背丈は、この数ヶ月でまた少し伸びたように見える。えまの隣を歩く彼は、もはや「受験生」という危うい肩書きを背負った少年ではなかった。

「ねえ、指」

 えまが慣れない響きでその名を呼ぶと、彼は嬉しそうに、けれど少し照れくさそうに隣で目を細める。

「はい、えま」

 その呼び捨ての響きに、今度はえまの胸がトクンと跳ねた。  かつては予備校のカウンターという、物理的にも社会的にも高い「壁」が二人を隔てていた。彼女は常に「正解」を教える立場で、彼はそれを受け取る立場。でも今は、並んで歩く二人の視線の高さは、ほとんど変わらない。

「……なんだか、不思議。三ヶ月前までは、あなたが合格することだけが私のゴールだったのに」 「今は?」 「今はね、仕事で失敗して落ち込んだ時、一番に指に会いたいって思っちゃう。……私、頼りないお姉さんだよね」

 えまは自嘲気味に笑い、川面に反射する夕日を見つめた。  社会人一年目の壁は厚い。予報が外れて叱られたり、データの読み込みに追われて余裕をなくしたり。そんな時、彼女を救うのはかつての「事務員」としてのプライドではなく、ただ隣で笑ってくれる指の存在だった。

「いいんですよ。頼ってください」

 指は立ち止まり、えまの正面に回った。  そして、彼女の肩を包むように、けれどもしっかりとした手つきで引き寄せる。

「えまが僕を合格させてくれたみたいに、今度は僕が、えまの毎日を快晴にする番です。……『指くん』はもう卒業したんです。これからは、えまが疲れた時は僕が手を引くし、迷った時は一緒に考えます。……それが、対等ってことでしょ?」

 指の瞳には、かつての幼さはなかった。そこにあるのは、一人の女性を幸せにしようと決めた、一人の男の意志だった。

 えまは、彼の胸にそっと額を預けた。  伝わってくる鼓動の速さは、自分と同じ。  守ってあげなきゃいけない存在から、隣にいてほしい存在へ。

「……生意気。でも、すごく心強い」

 えまは、自分からも彼の背中に手を回した。  もう、教える側と教わる側ではない。  二人は今、同じ速さで、新しい季節へと歩き出していた。

『雨の予報、傘の中の真実』
 その日の夜、予報士であるえまの予測に反して、街には激しい雨が降り出した。  駅前のベンチで、仕事帰りのえまを見つけた指は、彼女の様子がどこかおかしいことに気づいた。傘も差さずに、雨音に紛れるようにして肩を震わせていたからだ。

「えま!」

 指が大きな傘を差し出すと、彼女はびくりと肩を跳ねさせた。見上げた顔は、雨のせいか、涙のせいか、ひどく濡れている。

「……指。ごめんね、予報、外しちゃった」

 弱々しく笑うえまの足元には、仕事用の資料が詰まったカバンが転がっていた。 「今日ね、局で大きなミスをしちゃったの。私の読みが甘くて、イベントの運営に迷惑をかけて……。予報士なんて、向いてないのかもって。あんなに頑張って受かったのに、全然ダメで」

 完璧だった彼女の心が、音を立てて崩れていくのが分かった。  かつての「受験生」の指だったら、気の利いた慰めも言えず、ただオロオロしていたかもしれない。でも、今の指は違った。

 指は傘を地面に置くと、濡れるのも構わずにえまを強く抱きしめた。

「……指くん、濡れるよ」 「いいんです。えまが泣き止むまで、こうしてます」

 指は彼女の耳元で、静かに、けれど力強く言葉を紡いだ。

「あの時、僕が模試の結果が悪くて自習室で腐ってた時、えまさんはなんて言いました? 『結果がすべてじゃない、積み重ねた時間は嘘をつかない』って、僕を叱ってくれたじゃないですか」 「それは……あなたが受験生だったから……」 「今は僕が、えまの担当の『事務員』になります。えまが自分を信じられないなら、僕が代わりにえまを信じます。……一人で全部背負って、完璧な『予報士』でいようとしなくていいんです。僕の前では、ただの、雨に濡れて心細い女の子でいてください」

 えまの手が、指のシャツの背中をぎゅっと掴んだ。  彼女は指の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き始めた。

 社会に出て、大人として振る舞うことに疲れていた彼女にとって、その抱擁は何よりも温かい救いだった。自分を「導く存在」としてではなく、一人の「人間」として丸ごと受け入れてくれる指の腕の中。

 しばらくして、雨音が少しずつ静かになっていく。  えまは指の胸から顔を上げると、真っ赤な目で、けれど少しだけスッキリした顔で彼を見つめた。

「……ねえ、指。私、すっごく格好悪いよね」 「いいえ。僕にしか見せないえまが見られて、ちょっと得した気分です」

 指が指先で彼女の頬の涙を拭うと、えまは照れたように笑った。   「……貸し、一つだからね。今度は私が、指を支える番なんだから」 「いいですよ。そうやって、ずっと貸し借りしながら、一緒にいましょう」

 二人は一つの傘に入り、ゆっくりと歩き出した。  雨上がりのアスファルトの匂いが、新しい季節の訪れを告げていた。

『重なる視線、未来の予報』
 雨の夜から数週間。  二人は、えまが予報士として初めて任された、海辺の街の野外イベント会場にいた。

 かつてのえまなら、失敗を恐れてピリピリと空気を尖らせていただろう。けれど、今の彼女は違う。時折、観客席の隅で自分を見守る指と視線を合わせ、小さく頷く。それだけで、彼女の背筋はしなやかに伸びた。

 イベントが無事に終了し、夕暮れが海をオレンジ色に染める頃。  二人は波打ち際の堤防に腰を下ろした。

「指、今日……私の予報、どうだった?」

 えまは、仕事の道具が詰まった重いカバンを横に置き、指の肩にそっと頭を乗せた。

「最高でした。風の向きが変わるのを読んで、アナウンスを入れた時、えまが誰よりも格好良く見えた」 「……ありがとう。あなたが信じてくれるから、私も私を信じられるようになったんだと思う」

 えまは指の手を取り、自分の手と重ね合わせた。  かつては「受験生の指」と「事務員の先生」だった手。今は、どちらも社会や学びの中で揉まれ、少しずつ逞しくなった、等身大の二人の手だ。

「ねえ、指。私、決めたことがあるの」

 えまは指の目を見つめ、真剣な口調で続けた。

「私、もっと勉強して、いつか大きな災害から人を守れるような予報士になりたい。……指が大学で頑張ってる姿を見てたら、私も今の場所で満足しちゃいけないって思った。私たちは、支え合うだけじゃなくて、お互いを高め合える関係でいたいから」

 指は驚いたように目を見開いた後、誇らしそうに笑った。

「……先を越されましたね。僕も、えまにふさわしい男になりたいって思ってたんです。今はまだ学生だけど、いつかえまと肩を並べて、同じ景色を見られるようになるまで、絶対に止まりません」

 指は、重ねた手の中に、小さな箱を滑り込ませた。  それは高価な宝石ではないけれど、彼がアルバイトをして、彼女への誓いとして買った、シンプルなペアリングだった。

「これ、予約票です」 「予約票……?」 「僕がえまと本当の意味で肩を並べるまでの、約束の印。……卒業して、僕が一人前になったら、その時はもっとちゃんとしたものを渡します」

 えまは一瞬息を呑み、それから幸せそうに目を細めて、指の指に指輪をはめた。

「……不純な動機で始まった恋だったけど。今の予報は、生涯、快晴。……いいよね、指?」

「ええ。僕の予報も、全く同じです」

 二人は立ち上がり、暮れゆく空の下、一歩ずつ同じ歩幅で歩き出した。  もう、どちらかが前を歩く必要はない。  対等な二人の足跡が、砂浜に長く、並んで続いていった。

(完)