『「65」ユビ・スペシャル』
2026/01/23(金)
春の陽気が、かえって残酷に思える4月の午後。18歳の指宿(いぶすき)――通称「ユビ」は、大学のキャンパスへ続く大階段の下で、虎視眈々と「その時」を待っていました。
彼はこの日のために、物理法則と人間工学を徹底的に叩き込んできました。狙うは、教科書を抱えて足を踏み外した美少女との、不可抗力という名の運命的接触。下心は最高潮、準備は万端です。
ついに、視界の端に獲物が映りました。長い黒髪をなびかせた女子学生が、スマホに気を取られ、最上段で靴の踵を鳴らしたのです。
「(来た……! 衝突角度45度、重心の崩れから推測するに、受け止めた僕の腕の中に彼女の柔らかい感触が——!)」
ユビは地を蹴りました。18年間の童貞としての渇望が、彼の手先に神がかり的な反応速度を与えます。彼は階段を三段飛ばしで駆け上がり、宙に舞った彼女の身体へと手を伸ばしました。
しかし、ここで彼の「指先の器用さ」という天賦の才が、望まぬ方向に爆発します。
彼女の背中が地面を打つ寸前、ユビの指先は彼女の衣服の裾や肩の関節、そして回転する遠心力を瞬時に計算し尽くしてしまいました。彼は彼女を抱きとめる代わりに、指先の僅かなスナップと、背中を押し上げる最小限の力添えだけで、彼女の回転軸を完璧に補正してしまったのです。
「……えっ?」
宙に浮いたはずの彼女は、猫のようなしなやかさで、ユビの目の前でピタリと両足で着地しました。スカートの裾すら乱れていません。抱き合うはずだったユビの両手は、彼女の周囲の空気を虚しく掴んでいるだけでした。
「すごい……! 君、今どうやったの!?」
目を輝かせて詰め寄ってくる彼女。ユビが期待していた「柔らかい感触」や「顔を赤らめるハプニング」はどこにもありません。そこにあるのは、超人的な身体能力を披露した大道芸人を見るような、純粋な尊敬の眼差しだけでした。
「いや……あの、もっとこう……ベタな感じになるはずで……」
「かっこよかったよ! 私、体操部の部長なんだけど、あんなに完璧な補助、プロでもできないよ!」
グイグイと距離を詰められ、指先が触れ合う距離にまで接近しているのに、ユビの心には「コレジャナイ感」が冷たい風のように吹き抜けていくのでした。
「君、今から部室ね! 決定!」
体操部部長、成瀬(なるせ)の有無を言わさない宣言とともに、ユビの腕は力強く引かれました。彼が夢見ていた「柔らかい接触」は、思わぬ形で「鋼のような体幹を持つ女子による連行」へとすり替わります。
案内された体育館の隅。そこにはマットと跳び箱、そしてユビの人生とは無縁だったストイックな汗の匂いが充満していました。成瀬は、まだ呆然としているユビを部員たちの前に突き出し、誇らしげに胸を張ります。
「みんな見て! 今日からうちの特任コーチ……兼、補助員のユビ君。彼、私の空中分解を指一本で直したんだよ!」
部員たちから上がる感嘆の声。しかし、ユビの頭の中は絶望で一杯でした。 彼が求めていたのは、不慮の事故で手が滑って「あ、ごめん!」となるような甘酸っぱいハプニング。それなのに、彼に与えられた役割は「絶対に事故を起こさない、神の指を持つ守護神」だったのです。
さっそく始まった練習。成瀬がレオタード姿で華麗に宙を舞います。 「ユビ君、着地の回転軸がズレたら修正お願い!」 空中でバランスを崩した彼女が落ちてくる。ユビの本能は、受け止める際に手が変なところに当たってしまうような、あの伝説のシチュエーションを望みます。
けれど、彼の指は残酷なほど有能でした。 彼女の腰のわずかな捻れを察知した瞬間、ユビの指先はミリ単位の精度で彼女の脇腹を弾き、物理学的に最も美しい放物線へと彼女を戻してしまいます。成瀬は完璧にピタリと着地し、最高の笑顔で親指を立てました。
「さすがユビ君! 触れられた瞬間、背筋に電流が走って体が勝手に正しい位置に戻るみたい!」 「……それは、心ときめく的な電流ですか?」 「ううん、低周波治療器みたいな、めっちゃ効率的なやつ!」
ユビは遠い目をしました。彼女との距離は物理的には異常に近い。触れている時間も長い。それなのに、そこには「スケベ」が入り込む隙間が全くないのです。なぜなら、彼の指が優秀すぎて、すべてのハプニングを「完璧なスポーツ技術」へと昇華させてしまうから。
そんな中、成瀬が不意に顔を近づけ、真面目なトーンで囁きました。 「ねえ、ユビ君。次の大会、私のペアとして、もっと『深いところ』までサポートしてくれないかな?」
その言葉の響きに、ユビの煩悩が久々に激しく脈打ちます。しかし、それが単に「より高度な難易度の技の補助」を指していることに気づくまでに、そう時間はかかりませんでした。
「君が噂の『ゴッド・フィンガー』?……想像よりずっと、欲求不満そうな顔をしてるのね」
練習の合間、体育館の重い扉を蹴り開けるようにして現れたのは、隣の大学の体操部マネージャー、如月(きさらぎ)でした。タイトなスーツに身を包み、知的なメガネの奥で冷徹にユビを観察する彼女は、成瀬とは真逆の「大人の色気」を漂わせています。
「如月! またうちの選手を引き抜きに来たの?」 成瀬が警戒してユビを背中に隠しますが、如月は不敵に微笑み、ユビに向かってすっと細い指先を突き出しました。
「成瀬、あなたは宝の持ち腐れよ。その子の指は、ただの補助(アシスト)に使うには惜しすぎる。……ねえ、指宿くん。うちに来れば、もっとあなたの指を『官能的』に使いこなせる場所を提供してあげるわよ?」
官能的。その禁断の響きに、ユビの煩悩が180度回転しました。
「か、官能……。具体的には、どのような業務内容で……?」 「うちの部にはね、筋膜の癒着を剥がす『特別なマッサージ』が必要な女子選手が山ほどいるの。あなたのその精密なタッチなら、彼女たちの硬くなった身体を、指一本でとろとろに解(ほぐ)せるはずだわ」
ユビの脳内には、一瞬にしてバラ色のビジョンが広がります。薄暗い保健室、アロマの香り、そして自分の指先で声を漏らす美少女たち。これぞ、彼が18年間待ち望んでいた「合法的なスケベ」の極致ではありませんか。
「行きます。今すぐ移籍します」 「ちょっと待ちなさいよユビ君!」
成瀬が慌ててユビの腰にしがみつきますが、如月はさらに追い打ちをかけます。 「フフ、決まりね。じゃあ、まずは適性検査(テスト)をしましょうか。私のこの……凝り固まった『肩甲骨の裏側』、あなたの指で触れてみて」
如月がゆっくりとジャケットを脱ぎ捨て、白シャツ越しに艶やかな背中を向けました。ユビは生唾を飲み込み、震える指先をその聖域へと伸ばします。
しかし、ユビの指が如月の背中に触れた瞬間。 彼の「職人魂」が、スケベ心を上回る速度で如月の骨格異常を検知してしまいました。
「(……っ! 右の肩甲骨が3ミリ挙上している。これでは深層外旋六筋への血流が阻害され、選手としての寿命を縮める!)」
気づけば、ユビは如月の背中を「エロい手つき」で撫でるどころか、プロの整体師も顔負けの鋭い指圧で、ゴリッ、と音が出るほど正確にツボを突き刺していました。
「あ、ああああっ!? そこ、そこぉーっ!!」 如月が体育館に響き渡るような声を上げ、その場に膝をつきます。それは快楽というより、もはや激痛を伴う「強制的な肉体改造」の衝撃でした。
「完璧だ……。なんて正確なアプローチなの……」 荒い息をつきながら、如月は潤んだ瞳でユビを見上げます。ユビは確信しました。 このライバル校に行っても、待っているのは「ハーレム」ではなく、山のような「ガチの重症患者」たちの治療行列であることを。
「ユビ君、やっぱり渡さない! その指は私の……私の専用なんだから!」 成瀬がユビの腕を抱きしめ、如月がその反対側の手を掴みます。
左右から押し寄せる女子の体温。本来ならラッキースケベの絶頂であるはずの状況で、ユビは自分の指先が「次に揉むべき筋肉」を勝手にサーチし始めていることに、深い絶望を感じるのでした。
山奥の古びた合宿所。湿った畳の匂いと、練習で酷使した筋肉の熱気がこもる大部屋で、ユビの心臓は今にも口から飛び出しそうでした。
予算削減という名目のもと、成瀬の大学と如月の大学による合同合宿が強行され、あろうことか夜は全員雑魚寝という、ユビにとっては「ラッキースケベの聖域」が完成してしまったのです。
消灯時間の22時。右隣には、無防備なTシャツ姿で大の字になって眠る成瀬。左隣には、シルクのパジャマから異様に艶やかな脚をのぞかせている如月。暗闇の中、ユビは掛け布団の下で、自身の右手に語りかけました。
「(いいか、僕の右指よ。今夜こそ、お前のその無駄なプロ意識を捨てろ。寝返りを打ったフリをして、ごく自然に、物理の法則に従って、彼女たちのどこかに『触れる』んだ……!)」
ユビは意を決して、ゆっくりと寝返りを打ちました。狙いは成瀬の肩、あるいは如月の指先。あわよくば、そこから始まる「あ、ごめん、暗くて分からなくて」という甘い言い訳。
しかし、その指先が成瀬のふくらはぎに触れた瞬間、ユビの脳内に戦慄が走りました。
「(……っ! なんだこの筋繊維の硬直は!? 明日の段違い平行棒で確実に肉離れを起こす予兆じゃないか!)」
エロスを求めていたはずのユビの指が、突如として「超一流トレーナー」としての自我に支配されました。気づいた時には、ユビは無意識に布団を跳ね除け、成瀬の脚を両手でガッチリとホールドしていました。
「(このままではいけない……この乳酸を、今すぐリンパへ流し込まなければ、彼女の選手生命が危ない!)」
ユビの10本の指が、暗闇の中で残像が見えるほどの速度で動き始めました。シュッシュッという衣擦れの音とともに、成瀬の筋肉の深層部を正確に捉え、神がかり的なテクニックで揉み解していきます。
「んんっ……あぁっ、そこぉ……」 成瀬が寝ぼけながら、艶っぽい声を漏らします。
その声を聞きつけ、逆隣の如月がムクリと起き上がりました。 「ちょっと指宿くん、一人占めはズルいわよ。私の、このデスクワークでガチガチになった腰も……責任持って『処理』しなさい」
如月が獲物を狙う猫のような動きで、ユビの背中にのしかかってきました。ユビの右手が成瀬のふくらはぎをケアし、左手が如月の仙骨周辺の歪みを矯正する。それはもう、ラッキースケベとは程遠い、ただの「深夜の過酷な労働」でした。
「(違う……僕がやりたかったのは、もっとこう、手が滑って胸に当たっちゃうとか、そういうのであって、両手に華のダブル整体じゃないんだ……!)」
ユビの指先は、彼女たちの身体を極上のコンディションへと導いていきます。二人の女子はあまりの心地よさに、ユビの腕を枕代わりにし、両サイドから彼をがっちりとホールドして深い眠りに落ちてしまいました。
翌朝、部員たちが目にしたのは、両腕を美少女たちに封じられ、指先だけが虚空を掻き毟りながら白目を剥いて力尽きている、ユビの無残な姿でした。
合宿最終日、山上の体育館には異様な緊張感が漂っていました。合宿の締めくくりとして行われる、成瀬の「新技」のお披露目。それは、これまでの体操の常識を覆す、空中四回旋半ひねり――通称『ユビ・スペシャル』。
成瀬はスタート位置に立ち、大きく深呼吸をしました。しかし、連日の猛特訓による疲労か、彼女の右足首がわずかに震えています。それを見たユビの指先が、本能的にピクリと跳ねました。
「(ダメだ、あの角度では着地の衝撃を逃がしきれない。……いや、待てよ。これはチャンスじゃないか?)」
ユビは邪な思考を巡らせます。着地でバランスを崩した成瀬が、そのまま僕の胸に飛び込んでくる。勢い余って二人でマットに倒れ込み、密着した状態で「……ありがとう、ユビ君」「いや、当然のことをしたまでさ(キリッ)」という、王道のラッキースケベ・エンディング。
「成瀬さん、最後に一度だけ、僕に『調整』させてください」
ユビは歩み寄り、成瀬の腰に手を添えました。18歳の童貞として、可能な限り下心を込めて、ねっとりと、いやらしく触れたつもりでした。しかし、指が彼女の肌に触れた瞬間、ユビの脳内にはマトリックスのような演算コードが走り抜けます。
「(……大臀筋から腓腹筋にかけての連動がコンマ5秒遅れている。このままでは空中での回転半径が広がる。よし、この『一点』を弾く!)」
ユビの指先は、本人の意志を無視して、成瀬の腰のツボを電光石火の速さで「ピンッ」と弾きました。それは愛の愛撫などではなく、もはや精密機械のスイッチを入れるような、神業のデバッグ作業でした。
「あうっ!?」
成瀬の背筋が、まるで見えない電流が走ったかのように真っ直ぐに伸びました。彼女の瞳から不安が消え、野生の獣のような鋭い光が宿ります。
「行ける……今の指先で、身体の芯が一本の鋼鉄の軸になったみたい!」
成瀬は猛然と助走を開始しました。ロイター板を蹴り、空高く舞い上がった彼女の身体は、物理法則を無視したような超高速回転を刻みます。ユビは固唾を飲んでそれを見守りました。
「(さあ、回転が足りなくて崩れてこい! 僕の腕の中へ!)」
しかし、現実は非情でした。空中の成瀬と、地上で見守るユビ。二人の間には、目に見えない「指の糸」が繋がっているかのようでした。ユビが固く拳を握れば、成瀬の回転はより鋭く、ユビが指を広げれば、成瀬の四肢は優雅に開く。
それはもはや補助ではなく、ユビの指による「遠隔操作(リモート・コントロール)」でした。
「……着地ッ!!」
ドスン、という重い音ではなく、トッ、という羽毛が落ちるような静かな音とともに、成瀬は完璧な直立不動で着地を決めました。審判席の如月が立ち上がり、持っていた記録用タブレットを落とすほどの衝撃。人類史上、最も美しい着地でした。
「やった……やったよユビ君!」
歓喜に沸く部員たちをかき分け、成瀬がユビに向かってダイブしてきました。 「(ついに来た! 感謝の抱擁からの、密着ラッキースケベ!)」
待ち構えるユビの胸に飛び込んできたのは、しかし、感動に震える成瀬の「鉄板のような硬さの腹筋」を伴う、全力のヘッドロックでした。
「君の指が、私を空中で導いてくれた! まるで神様に操られているみたいだったわ!」
首を絞められながら、ユビは思いました。自分の指が優秀すぎること。それが、意中の女の子を「一人の女性」としてではなく「世界レベルの超人」へと変貌させてしまったこと。
「成瀬さん……苦しいです。あと、その……心拍数が高すぎて、僕の指が勝手に次の『心肺機能回復のツボ』を探し始めてるんで、離してもらえませんか……」
合宿所の天井を見上げながら、ユビの18歳の夏は、ピンク色ではなく、アスリート特有の爽やかな青色に染まっていくのでした。
県立総合体育館。予選大会の会場は、独特の緊張感と、制汗スプレーの香りが入り混じった熱気に包まれていました。18歳のユビは、公式スタッフ証ならぬ「成瀬専用コンディショナー」という怪しげな手書きの腕章を巻かれ、選手控え室の片隅で待機していました。
「(今日こそは……今日こそは、この大舞台の混乱に乗じて、伝説のラッキースケベを完遂してやる。控え室は狭い、選手は急いでいる。肩がぶつかり、よろめき、偶然手が触れてしまう確率は、合宿所の比ではないはずだ!)」
ユビは、自身の右手の指をそっと見つめました。しかし、彼のそんな「童貞の野望」を打ち砕くかのように、控え室の入り口に異様な光景が広がります。
「あの……彼が、噂の『神の指』を持つ指宿くん?」 「お願い、私のふくらはぎも見て! 昨日の練習からパンパンで……」
そこには、成瀬の大学だけでなく、ライバル校である如月の大学、さらには全く面識のない他校の女子選手までもが、レオタード姿でずらりと列をなしていました。合宿所で如月が流した「どんな疲れも一瞬で消し去る魔法の指を持つ男がいる」というデマ(あるいは真実)が、選手たちの間で都市伝説のように広まっていたのです。
「ちょっと、並びなさいよ! 指宿くんの指は、今日は一回3分までの予約制なんだから!」
如月がいつの間にか受付デスクを設置し、ストップウォッチを片手に列を整理しています。ユビの期待していた「偶然のハプニング」は、如月の冷徹なビジネス手腕によって「効率的な流れ作業」へと変貌を遂げていました。
「お願いします!」 目の前に差し出されたのは、鍛え抜かれた女子選手の、しなやかで、かつ緊張で硬くなった太ももでした。ユビの煩悩が叫びます。「(おおお、これは! この角度で手を添えれば、指先がレオタードの端に……!)」
しかし、指が肌に触れた瞬間。ユビの脳内にある『超高性能・人体構造スキャナー』が、無慈悲に起動します。
「(……いけない! 大腿直筋の緊張が強すぎて、膝蓋腱に過度な負担がかかっている。このまま跳馬を飛べば、着地で膝が笑うぞ。おい右指、色気を出している場合か! この筋肉を今すぐ救え!)」
ユビの指先は、本人の不純な動機を置き去りにして、電光石火の速さでツボを捉えました。指をわずかに回転させ、深層のコリをピンポイントで弾く。
「あぅっ……!? は、速い……でも、すごい、脚が羽根みたいに軽くなっていく……」
選手が恍惚とした表情で立ち去り、また次の選手がやってくる。ユビはもはや、自分が何をしに来たのか分からなくなっていました。柔らかい肌に触れているはずなのに、彼の指が感じ取っているのは「筋肉の硬度」と「骨格の歪み」というデータだけ。
「(……おかしい。僕は女の子とキャッキャウフフしたいだけなのに、なぜスポーツ整体の千手観音みたいになっているんだ……!)」
その時、列の最後尾でずっと不機嫌そうに腕を組んでいた成瀬が、ついに爆発しました。
「もうダメ! ユビ君は私のコーチなんだから! みんな、私の本番前に彼を疲れさせないで!」
成瀬はユビの腕を強引に掴むと、人気のないアップ場へと彼を連れ出しました。二人きり。薄暗い体育館の裏。成瀬の息が荒く、ユビの胸元にかかります。
「……ユビ君。私の脚、もう一度だけ、あなたの指で『魔法』をかけて。一番、深いところまで」
成瀬が差し出してきたのは、テーピングが痛々しく巻かれた足首でした。ユビは、彼女の真剣な眼差しと、自分にしか頼らないという信頼に、今までにない種類の「熱」を指先に感じます。
「(……わかったよ、成瀬さん。スケベなんて二の次だ。僕のこの指で、君を一番高い表彰台まで連れていく)」
ユビが覚悟を決め、その神の指を成瀬の足首へ伸ばしたその時、大会の開始を告げるブザーがけたたましく鳴り響きました。
決勝の舞台。静まり返ったアリーナの中央で、成瀬の演技はクライマックスを迎えようとしていました。彼女が大きく助走を取り、あの伝説の『ユビ・スペシャル』へと踏み切ろうとしたその瞬間、ユビの異常に鋭敏な動体視力が、あってはならない「異変」を捉えました。
「(……っ! しまった、背中のホックが!)」
連日の過酷な練習と、先程ユビが施した「全身の筋肉を限界まで活性化させるスイッチ」によって、成瀬の身体はかつてないほどの躍動を見せていました。しかし、その強靭な筋肉の張りに、競技用レオタードの強度が耐えきれなかったのです。激しいひねりの直前、背中の留め具が悲鳴を上げ、パチン、という不吉な音とともに弾け飛びました。
このまま跳べば、空中で衣装が大きく乱れるのは確実。それは、18歳の童貞であるユビが夢にまで見た「究極のラッキースケベ」が、数万人の観衆と生中継のカメラの前で白日の下にさらされることを意味していました。
「(……来る。ついに、この時が来た! 僕の18年間の妄想が、最高の形で具現化されるんだ! 見ろ、あの布が一気に——!)」
ユビの煩悩が狂喜乱舞し、鼻血が噴き出そうになります。しかし、その刹那。彼の指先が、氷のような冷徹さで脳に信号を送りました。
「(……否! 衣装が15センチ広がることで空気抵抗が増大する! 回転軸が左に0.8度ブレ、着地で首からマットに突き刺さるぞ! それは『スケベ』じゃない、『大惨事』だ!!)」
その瞬間、ユビの「職人としての指」が、持ち主の「不純な欲望」を完全に叩き伏せました。 彼は最前列の控え席から、雷光のような速さで立ち上がりました。手元にあったのは、さきほど如月に「これで選手たちの喉を潤せ」と渡された、未開封のスポーツドリンクのボトルに巻かれた、わずか数センチのシュリンクラベルの破片。
ユビはそれを親指と中指で挟むと、成瀬が最高到達点に達した瞬間、無意識のうちに「指弾」を放ちました。
シュッ、という小さな風切り音。 空中で4回転半しながら猛烈に回転する成瀬の背中。その、弾け飛んだホックの隙間に、ユビが放ったプラスチックの破片が吸い込まれるように飛び込みました。
それは、回転する彼女の遠心力を利用し、裂けた布同士を絶妙な角度で「噛み合わせ」、一時的な楔(くさび)となって衣装を固定したのです。1ミリの狂いもない、神業の狙撃。
「……えっ?」
空中で一瞬だけ、成瀬の身体に不思議な「安定感」が宿りました。何かに背中を支えられているような、温かくて力強い指先に守られているような感覚。
「(ユビ君……そこに、いるのね!?)」
確信を得た成瀬は、さらに回転を加速させ、完璧な着地を決めました。会場は割れんばかりの拍手に包まれます。衣装の異変に気づいた者は、誰一人としていませんでした。
演技終了のブザーが鳴り、成瀬は真っ先にユビの方を振り向きました。彼女の背中では、ユビが放った「身代わりの破片」が役目を終え、ひらりとマットに落ちました。
「ユビ君! 今、助けてくれたでしょ!」
成瀬が駆け寄り、ユビの右手を両手で包み込みました。ユビは、究極のスケベチャンスを自らの手(指)で葬り去った虚脱感の中で、遠い目をして答えました。
「……いえ。僕はただ、プラスチックのゴミを捨てただけです……」
「嘘ばっかり! 私の背中、あなたの指の感触でいっぱいだったんだから!」
成瀬のその言葉が、会場のスピーカーを通じて場内に響き渡ります。「指の感触でいっぱい」というあまりにも誤解を招く表現に、観客席からはどよめきが、如月からは冷ややかな視線が、そしてユビの顔からは一気に血の気が引いていくのでした。
大会から数日後の放課後。夕闇が迫る部室棟の最上階にある、普段は使われていない「特別休養室」に、ユビは呼び出されていました。
「……本当に、いいんですか? こんなところで」
ユビの声は緊張で裏返っていました。窓から差し込むオレンジ色の斜光が、室内を妖しく照らしています。目の前には、優勝メダルを首にかけたままの成瀬が、パイプ椅子に腰掛けて彼を待っていました。
「いいの。ユビ君のおかげで優勝できたんだもん。……約束でしょ? ご褒美」
成瀬はそう言うと、おもむろにジャージのファスナーに手をかけました。「あの時は、会場だったからみんなに見られちゃったけど……今は、私とユビ君だけ。衣装のことなんて気にしなくていいから、あなたのその指で……私の全部を、好きなようにして」
ジャージが肩から滑り落ち、その下には——驚くほど薄い、練習用のキャミソール一枚になった彼女の、限界まで絞り込まれた肉体が露わになりました。18歳の童貞、指宿の心拍数はマッハの速度に達します。
「(来た。ついに来た! 密室、薄着、そして女の子からの『好きなようにして』という魔法の言葉! 18年間の修行は、この数分間のラッキースケベのためにあったんだ!)」
ユビは震える手を伸ばしました。狙いは、キャミソールの細いストラップが食い込む、白く柔らかな肩。そこから指を滑らせれば、不可抗力を装った甘い時間が始まるはずでした。
しかし。ユビの指先が、彼女の鎖骨の下にある「大胸筋の付け根」に触れた瞬間——。
脳内の『超精密人体スキャナー』が、警告音を鳴り響かせました。
「(なっ……なんだ、この異常なまでの筋収縮は!? 優勝の代償か……!? 広背筋から前鋸筋にかけて、乳酸が結晶化して神経を圧迫し始めている。このまま放置すれば、彼女は明日、腕を上げることもできなくなるぞ!)」
ユビの右手の親指が、本人の意志とは無関係に、筋肉の深層部へと「弾丸」のような速度で沈み込みました。
「……あうっ!? そこ、あ、熱い……っ!」
成瀬が背中を反らせて声を漏らします。ユビの脳内では「エロい声だ!」と歓喜する自分と、「黙れ、今はこの癒着を剥がすのが先決だ!」と怒鳴りつける職人の自分が激しく争っていました。結果、勝ったのは「指」でした。
「成瀬さん、動かないで! 肩甲下筋の癒着を剥がします!」
「えっ、ちょっ……ユビ、君……?」
そこからは、もはやラブコメではなく「神の手による緊急手術」でした。ユビの10本の指は、まるで生き物のように彼女の肌の上をのたうち回り、最小限の力で、最大級の苦痛と快楽を伴う「超・筋膜リリース」を繰り出していきます。
「あ、あああああーっ!! 痛い、痛いけど……なんか、すごく奥の方まで届いてるぅーっ!!」
成瀬が涙目で叫び、バタバタと脚を暴れさせます。その拍子に、彼女の脚がユビの腰に絡みつき、体勢が崩れて二人は床に倒れ込みました。重なる体温、乱れる吐息、密着する胸元。これこそがユビの求めていたシチュエーションそのものでした。
だが、床に押し倒された状態でも、ユビの指は止まりませんでした。
「(いい角度だ……! この体勢なら、腰方形筋に直接アプローチできる! 逃さないぞ、このコリを!!)」
「ふぇっ!? 腰、腰はやめてぇ……力が、抜けちゃうぅ……」
数分後。 そこには、全身の毒素を出し切って、魂が抜けたような顔で床に大の字になっている成瀬と、全ての指を使い果たして真っ白な灰になったユビの姿がありました。
「……すごかった。私、今まで生きてきた中で一番、中までかき回された気分……」
成瀬は潤んだ瞳でユビを見上げ、そっと彼の指を自分の頬に寄せました。 「ユビ君……あなたの指、もう手放せない。私、決めたわ。次のオリンピックまで、ずっと私のそばで……毎日こうやって、私をめちゃくちゃにして」
ユビは、窓の外に広がる夕焼けを眺めながら、静かに涙を流しました。 夢にまで見た美少女からの独占宣言。なのに、なぜ。なぜ僕の指は、彼女を「恋人」ではなく「世界最高の兵器」に育て上げてしまうのか。
「……わかりました。やりましょう、成瀬さん。人類の限界、僕の指で見せてあげますよ」
もはやラッキースケベへの道は閉ざされ、代わりに「伝説の金メダル・メーカー」への道が爆音を立てて開通した瞬間でした。
舞台はついに、世界最高峰の祭典「ワールド・ダイナミクス・ジムナスティクス」へ。開催地は、恋と芸術の都・パリ。
しかし、18歳のユビにとって、そこは華やかな観光地ではなく「世界中の超一流の筋肉がうごめく戦場」でした。成瀬の専属トレーナーとして会場入りした彼を待っていたのは、各国の女子代表選手たちからの、血走った眼差しです。
予選での「指一本による覚醒」は、すでに全世界のスポーツ科学界を震撼させていました。
「彼がジャパニーズ・マジシャン、『YUBI』ね……?」
選手村のカフェテラス。ユビの前に立ちはだかったのは、東欧の「氷の妖精」こと、金メダル候補のエレーナでした。彼女はおもむろに、自らの美しくも鋼のように引き締まった背中をユビに向けます。
「私の僧帽筋が、あなたの指を求めているわ。……さあ、私を天国へ連れて行って」
ユビの煩悩が爆発します。「(天国!? 東欧の美少女が天国と言ったぞ! よし、このまま腰のあたりを……!)」
しかし、指が彼女の皮膚に0.1ミリ触れた瞬間、ユビの脳内に緊急アラートが鳴り響きます。「(待て! 第4腰椎の回旋が不自然だ! このままでは空中での軸が1.5度ズレ、銀メダルに終わるぞ!)」
「……そこだッ!」
ユビの指が、エレーナの背骨のキワを鋭く突きました。 「ひゃうんっ!?」 氷の妖精が、人前とは思えないほど艶っぽい声を上げ、その場に崩れ落ちます。しかし、立ち上がった彼女の瞳には、かつてないほど澄んだ輝きが宿っていました。
「……信じられない。神経が、宇宙と繋がったみたいに冴え渡っている……」
これを機に、選手村ではパニックが起きました。ユビの部屋の前には、フランス、ブラジル、中国……多国籍なレオタード美女たちが「指の救済」を求めて長蛇の列を作ったのです。
「(ちがう……僕がしたかったのは、偶然廊下でぶつかって抱き合うとか、そういうパリらしいラッキースケベなのに! なんで僕は、国連レベルの救急センターみたいになってるんだ!?)」
押し寄せる美女たちの肉体。ユビの指は、彼女たちの肌に触れるたび、性別を超越した「究極の職人意識」で、的確に、冷徹に、そして最高に心地よく、筋肉の不調を叩き直していきます。
そして迎えた決勝戦。 成瀬の最大のライバルたちは、皮肉にもユビの指によって「人生最高のコンディション」に仕上げられていました。全選手が人類の限界を超える演技を連発する、神々の戦い。
最後に登場した成瀬は、観客席で見守るユビを指差しました。 「ユビ君、見てて。あなたの指が、私に翼をくれたんだから!」
成瀬が宙を舞います。ユビは観客席で、自らの指を指揮者のように動かしました。 右指を跳ねれば、成瀬のひねりが鋭さを増す。左指をなぞれば、成瀬の空中姿勢が美しく弧を描く。もはや、物理的な接触すら必要ありません。ユビの指と成瀬の筋肉は、量子力学的なレベルで共鳴(シンクロ)していたのです。
結果は、満点。世界新記録。 成瀬が金メダルを掲げた瞬間、会場の全選手がユビに向かって「神への拍手」を送りました。
「(あぁ……終わった。僕はついに、指一本で世界を救ってしまった……。でも、結局一度も、まともな『スケベ』は起きなかったな……)」
表彰式後の控室。金メダルを首にかけた成瀬が、ユビを壁際に追い詰めました。 「ユビ君。……世界中の女の子をあんなに気持ちよくさせちゃって、私、嫉妬してるんだから」
成瀬がユビの右手を掴み、自分の胸元に引き寄せます。 「金メダリストの私にしかできない『特別な指の仕事』……今夜は、朝まで休ませないからね」
成瀬の熱い吐息と、金メダルの冷たさがユビの指先に触れました。18歳の夏、童貞のユビ。彼の指が、ついに「筋肉のケア」ではない、本当の意味での「運命のスイッチ」に触れようとしていたのでした。
成瀬の顔が、かつてないほど近くにありました。 金メダルの重みと、彼女の情熱的な体温がユビを包み込みます。
「ユビ君、覚悟して。……これ、私の『本気』なんだから」
彼女の手が、ユビの右手をそっと導き、柔らかな胸元の奥へと誘います。 18年間の妄想、数百時間に及ぶシミュレーション、そして世界中の美女アスリートの筋肉を救ってきたあの「指」が、ついに……ついに、純粋な、一点の曇りもない「ラッキースケベ(本人の意志を伴う幸運な接触)」へと到達しようとしていました。
「(来た……! 筋肉の硬度じゃない、リンパの詰まりでもない、これは……本物の、女の子の柔らかさだ……!)」
ユビの指先が、彼女の肌に沈み込みます。 その瞬間、彼の脳内で何かが音を立てて弾けました。これまでの職業病的な「職人スイッチ」が、ついに欲望のオーバーロードによって焼き切れたのです。
「あああ……っ!」
ユビは叫びました。 それは、彼が指圧してきた選手たちの声ではありません。18歳の少年が、長い暗黒時代を経て光を見つけた、魂の咆哮でした。
彼の指先から、これまで蓄積してきたすべてのエネルギーが放出されます。 成瀬の肌を通じて伝わる、圧倒的な多幸感。指が、神経が、そして心までもが、成瀬という一人の女の子と完全に一体化したような感覚。
「(……もう、筋肉なんてどうでもいい。僕は、君に触れている。それだけで……それだけで、僕は!!)」
ユビの全身を、かつてない激しい衝撃が駆け抜けました。指先から脳天までが真っ白な光に包まれ、彼は絶頂の向こう側へと「いって」しまいました。
「……あ、あれ? ユビ君? 顔が真っ白だよ!? ちょっと、魂抜けてるって!!」
成瀬の慌てる声が遠くに聞こえます。 ユビは、彼女の腕の中で完全に脱力していました。指先は、もうピクリとも動きません。世界を救った神の指は、今、一人の少年のささやかな夢を叶え、安らかな眠りについたのです。
翌朝、スポーツ紙の片隅に小さな記事が載りました。 『世界最高のアシスタント、金メダルの直後に謎の賢者タイム。全指の機能を一時停止し、幸福な顔で搬送される』
こうして、指の18歳の夏は幕を閉じました。 その顔には、金メダルよりも輝かしい、世界一「スッキリ」とした、満足げな微笑みが浮かんでいました。
完